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2011年8月23日火曜日

諏訪教育会会報

諏訪教育会会報 第182号に寄稿しました☆

その内容を下記に書いておきます。
1500文字っていう分量は難しいですね。

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「・・・・。」その気持ちを表現する言葉が見つからない。

平成23年7月13日から一ヶ月間、宮城県石巻市に医療支援活動に行ってきた。当初から毎日が驚きの連続だった。釜谷、尾崎、北上、門脇、雄勝地区、女川町。場所により異なる風景だが、いずれもおびただしい数の犠牲者や被災家屋があった。視野に広がる廃墟の光景、風の匂い、虫や鳥の鳴き声、そこに漂う形容し難い雰囲気は、テレビや写真、ボランティア体験者の報告会では決して理解できなかった。

そこには色んな生と死のドラマがあった。
7割の児童が犠牲になった大川小学校に急いで迎えに行き、間一髪孫を救い出した祖母。保育園にいた園児は助かったが、迎えに行った母は途中で流された。自分の体に命綱をくくりつけ、津波に流されてきた人たちを必死で拾いあげた。「助けて!」と言いながら波間の瓦礫に消えた人の声が忘れられない。

巡回診療で毎週訪れていた入釜谷地区の住民の方々は、診療終了後にいつも手料理と共に震災当時の話をしてくれた。その時の生々しい話や温かい心遣いに自然と涙が溢れた。




「子供が亡くなった家と生き残った家、狭い集落の中で会話ができなくなっている。その事に触れることも、”タブー扱い”されることも両方とっても辛い事。私のようなちょっと外の人間が行って『お線香1本上げさせてくださいね』と声をかける事でその思いを聞いてあげられる事がある。」役所の保健師さんが別の集落に同行した時に話をしてくれた。
「医師」という看板のない訪問。二人の孫を失った初老の男性。元気そうに話をされているが昼間から酒を飲み、気を紛らわせているように見えた。近づきすぎれば「無神経」、遠すぎれば「冷やかし」になる。コミュニケーションを取るのが怖いと初めて思った。

「決して対岸の火事にしない」そう思って活動してきた。石巻では当院名誉院長の鎌田實医師が代表を務める「日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)」が活動を続けていた。6月から同僚や病院幹部の先生と共に「JIM-NET/諏訪中央病院 石巻医療復興支援プロジェクト」を立ち上げ、若手医師達が4~6週単位で継続的に石巻入りすることになった。

実際の活動としては、避難所のダニ退治や瓦礫撤去作業、無医村地区の仮設診療、訪問診療、石巻赤十字病院の救急当番、地元クリニックでの診療、住民への講演など。「あらゆる場面で期待された仕事を全うする」という諏訪中央病院で教えられた力を発揮する場となっている。

本当に多くの方々に支えられての支援活動だ。病院幹部の先生や診療所の先生が応援に駆けつけてくれた。同僚が活動資金を募金してくれた。原小学校3年2組の生徒さんたちが書いてくれた手紙に被災地住民の方は泣いて喜んでくれた。茅野のあるクリニックではスタッフが往診に自家用車を使い、代わりに往診用の車を寄付してくださった。





普段の診療の中で医師にとって一番の先生は「生老病死」の悩みを持った患者さんだ。被災地では気が遠くなるほど沢山の悩みが、現在進行形で続いている。

「この大災害から学ばなければならない」よく耳にする言葉だ。しかしそれは「次の災害に備えるため」だけでなく「人間としてどうやって生きていくか」を学ぶことが重要だと思う。

被災地の復興はまだ本当に始まったばかりだ。傷付いてまだ立ち上がれない人も沢山いる。しかしこの街は必ず甦る。その日に向けて私たちの活動がほんの少しでも役に立てば、こんな幸せな事はない。

【詳しくはコチラ】
医師の石巻活動ブログ → http://suwaishi.blogspot.com/
JIM-NETブログ → http://blog.livedoor.jp/jim_net/lite/

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