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2011年12月28日水曜日

研修医のふりかえり

名古屋日赤から雄勝診療所に4回着てくれた研修医のK君が最後の振り返りを行いました。
「大きな病院ではわからなかった患者背景があることがわかった。患者の背景を考えた医療を行いたい」と振り返ってくれました。
仮設にいったり、待合室で「お茶っこ」をしたりよい経験となったことと思います。
宮城出身のK君、ぜひ復興のために力になってください。
復興のお母さん、船越レディースに見守られて、復興の父雄勝診療所は仕事納めを迎えました。
まだまだ傷のいえない震災の地の診療所。今日もつらい体験を語りながら涙を流す姿がありました。
そんな被災地を支えるため、大晦日、お正月もイベントを考えています!
大晦日はそばうち?少なくとも年越しそばイベント。
お正月はもちつきをオーガッツと共に。
そして見守り隊とタイアップして、2日は独居老人にお年始を配り歩きます。

6週間の活動を終えて



今回は雄勝診療所での活動を中心に、石巻での6週間にわたる活動についてまとめてみました。

すべては書ききれないですが、本当に皆さんから学ぶことは多く、人生観が変わりました。
ここに挙げた活動は、全部金子先生がブラッシュアップしてくださって、診療所は今もどんどんパワーアップしています。これからも、ずっとずっと応援していきたいと思います。

桧原 石巻活動イベント履歴(23.10.31-23.12.9)

11/3-7 安藤親男先生受け入れ 雄勝診療所での診療支援・運営についてのアドバイスをいただく
11/16,24,25,26,28 JIM-NETとして仮設住宅での健康講話「高血圧」
11/27 雄勝診療所前(雄勝支えあいセンターお披露目)餅つき会 手伝い
12/1 雄勝診療所ミーティングにて 訪問看護・在宅診療について講演
12/6 大須小 キッズ広場にてこどもと健康・放射線についての講演
12/8 雄勝診療所ミーティングでふりかえり発表⇒職員の開院2ヶ月の振り返りをファシリテート

<雄勝診療所での診療支援プロジェクト>
1.訪問看護プロジェクト
対象:雄勝診療所の看護師 

目的:診療所の看護師がプロとしての自信をもって、地域・患者さんたちの訪問ケアを行うことを目指す。
方法:診療所から1時間ほどのアクセスでにある訪問看護ステーションの看護師と連絡をとり、
雄勝診療所看護師が訪問看護の研修を行えるよう、具体的な日程・交渉の場づくりを行った。
来年1月中旬より定期的な指導・情報交換を実施形式で行うこととなった。

(感想)
 「訪問看護を学んでみたい」という彼女たちの思いを受け、なるべく診療所のニーズに留意しながら、行ったプロジェクト。自分のしたこととすれば、具体的には話し合いの場をセッティングしたのみであった。
今後、看護師の方たちが思い思いに活動できるよう、研修の場を作れたのも小倉先生の懐の大きさがあるからだと思う。


2.診療所の質改善プロジェクト
2-1 診療所お茶っこのみプロジェクト
対象:診療所に来院する患者
ニーズ、背景:現在、雄勝診療所を経由するバスの本数が1日各便3-5本程度とすくないため、診療所に2時間半程滞在しなければならない高齢患者が毎日いる。 地域では近所で集まってお茶を飲む習慣がある。
目的:脱水予防。地域内での親交を深める。
方法:バス待ちの時間を中心にお茶を出すことを行い、診療所待合室が患者同士の交流の場として機能する仕組みをつくる。
評価:住民の「こちら(の診療所)はサービスがいいからきている」という言葉がきかれるようになった。
今後:のちに看護師の負担とならないようにするため、住民ボランティアにお茶出しをしてもらってはどうかというアドバイスを得た。

(感想)
診療所の「お茶っこのみすっぺし」ポスターに触発され、患者さんからも「どごでお茶っこ飲みすっぺしやな(どこでお茶を飲めばいいんだ)」と言われたのがきっかけで、このプロジェクトを開始した。自分としても初めてお茶を出してみたが、患者さんに喜んでもらえ、素直に嬉しかった。研修医の研修の方法としても有効であると考えられ、実践した。地域の人に喜ばれていると看護師からも高い評価を得た。今後もボランティアを募ったりやお茶を提供の仕方を工夫するなど、診療所として継続可能な方法で「診療所お茶っこ」を続けられる仕組みづくりを進める必要がありそうだ。


2-2 診療所運営の質改善プロジェクト
診療所運営にあたってのソフト面の支援を行うことをめざした。
各関係機関(保健課―キッズ広場、社協、仮設住宅サポートセンター、訪問看護ステーション、住民、支援団体)との連携づくりを目指し、情報収集を行った。たとえばキッズ広場に参加し、雄勝診療所で小児科を診療できることを知らない母親が多いことを知り、双方への情報提供を行った。

看護師の意見を積極的に取り入れることをめざした。そのためにも診療所ミーティングを頻繁におこなう、まずは確実に週1回開かれるように働きかけた。毎週曜日をきめてミーティングを行い、その中で訪問看護についての勉強会をおこなった。その中では自信をもって訪問看護をしてほしい、看護師も忌憚なく医師に意見を述べていくことが必要という点を強調した。とくに患者についてのディスカッション、業務改善に関して意見を交換するようにと促した。司会と書記を交代で看護師に担当してもらうように促した。
診療所ミーティング運営のヒントについてもほかの診療所の先生へのコンサルトを行いいただいたアドバイスをもとに、最後の週に自分の診療所研修振り返りを行い、開院2ヶ月という時点での各自の振り返りをファシリテートした。

(感想)
現在看護師たちが活発に意見を出していることは本当に嬉しい。12月に各機関と雄勝診療所のカンファが成功裏に行われた。今後もさらに診療所の周囲の機関との交流が深まることが診療所運営にとって不可欠と考える。

3.研修医教育プロジェクト
診療所には日赤から週2回、研修医が研修にくることとなった。
目的;先生が1人体制となっても、研修医を受け入れることのできるような土壌づくりを行う
方法;研修医の対応マニュアルづくりを行い、対応ができるようなしくみを整えるため、A4サイズのファイルに、雄勝診療所の概要がわかる資料をまとめた1冊を作成した。
看護師や地域のリソースから学ぶことが重要であるという視点から、「待合室お茶っこ研修」「雄勝支えあいセンター研修」「往診研修」「訪問看護研修」をたちあげた。

評価方法としては振り返りシートを記入してもらい、先生と研修目標や研修成果の共有をはかった。
待合室でお茶っこをした研修医は患者さんに「津波で何もなくなったが先生にあえてよかった」といわれ「地域をよく知ることができた。よい経験をした」「また雄勝にきたい」という感想が得られた。

(感想)
自分にとっても、診療所に研修医を教えるということは初めてであった。メーリングリストで問いかけて得られた、仲間の意見が参考になった。自分が研修医のときに診療所で教えてもらったように、多角的な視点から医療・福祉を見渡せるような研修プログラムをめざした。ふりかえりを導入し、限られた時間で本人のニーズに沿った研修ができるように配慮した。なかなかニーズを探ることは難しかった。
あまり自分で研修医に接しすぎないで、小倉先生が研修医の指導をできる時間を確保することが大事だとわかってはいたが、研修医に接しすぎたのが反省点である。やっぱり研修医の相手をするのは楽しい。

2011年12月20日火曜日

お正月をよぶもちつき開催

12/16,17茅野市、諏訪中央病院、茅野市社会福祉協議会、赤十字奉仕団によるもちつきが行われました。
JIM-NETは現地コーディネートと企画サポートを行いました。
このきっかけとなったのは入釜谷のかずえさんとえみこさんが茅野市を訪れたことです。
(詳しくは「いしの巻 ブログこちらの記事」をご覧ください。 


市の方から訪問をきっかけにぜひ石巻でもちつき、そばうちをやりたいと申し入れがありました。
結果、30名の方が石巻に夜通しで駆けつけ、このイベントを開催してくれました。
12/16は石巻市入釜谷地区でのもちつき。以前、医療支援で入っていた医師や理学療法士の来訪もあって、旧交をあたためる姿もありました。
会場にはお年寄りから小さな子供までぎっしりと入り、のんびりと食事を楽しむ姿が目立ちました。
そばうちは茅野から来た職人さんの手打ち!。しっかりとした歯ごたえにみなさん舌鼓をうっていました。最初は「親族を失ったからもちは食べられない」と言っていた方も、以前からの知り合いのJIM-NETスタッフの誘いで来場し、楽しそうにイベントを楽しむ姿がありました。
雑煮には石巻で旬のセリが入っており、とてもいい香りを漂わせていました。
翌日には三反走の仮設住宅で行いました。
事前にビラをまいてもらい客入れにギターでにぎやかしをいれたおかげか、こちらでは大好評で100人を超える方々の来訪となりました。こちらでも予想に反してのんびりと食事を楽しんでいただく姿が目立ち、「長野に行ってみたい」という方もちらほらいたようです。
家族連れも何組か来場され、長野の林檎、野沢菜、そば、もちというさまざまな特産品を楽しみ、ソバ打ちを興味深そうに見て、お子さんがもちつきを行うなど、笑顔が絶えない時間となりました。
遠方から来て、準備の時間も少ない中、どうにか現地の方々に喜んでもらえたのはJIM-NET石巻スタッフの川添さんと重岡さんのおかげです。この場を借りてお礼を申し上げます。

諏訪中央病院 医師金子一明


2011年12月19日月曜日

「雄勝支えあいセンター」
















「雄勝支えあいセンター」

雄勝診療所のとなりにある、仮設住宅の見守りなどをしている組織です。

具体的にどんな活動をしている組織か、書き残しておきます。

雄勝支えあいセンターには 復興コーディネーター1人、そのほか4人の支援員がいる。 以前の雄勝地区でのデイサービスで働いていた、地元の情報を知っている方が頼りになる。 普段は3人1組で行動している。1人がチェックリストにしたがって、郵便物や新聞などをみているなか、ほかの2人は1軒5分以内で訪問を行っている。決して部屋の中には立ち入らずに、お茶を飲まずに玄関先で話をきく。なぜなら、彼らの仕事はスクリーニングであり、1軒ごとにあがりこんでいると、目標とするお宅全部を回れないからだ。
1軒をどの頻度でいくかは、その方のニーズによって決まっていく。週1回の人、毎日の人がいる。その調整は11月いっぱいまでかかったとのこと。


支援員の方から、住民についての貴重な一報が(巡回看護師経由でも)入る。「内服ができていないようだ」「体調がおもわしくなく、あまりたべていないようだ」。実際、この一報が入院治療へとつながる一歩となった方にも遭遇した。彼らは雄勝の健康を守る活動を、この寒い中も続けている

ささえあい支援センターの概要をこの後入れておきます。興味のある向きはご覧ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・
ささえあいセンター等業務概要(案)石巻市 仮設住宅運営管理室1 目的東日本大震災による被災者及び仮設住宅入居者に対し、専門職種による相談・生活支援を実施し、仮設住宅等における介護・看護・福祉サービス等の拠点を整備することにより、被災者の生活支援を図る。(石巻市被災者生活支援事業実施要綱;詳細別紙)
2 目標 仮設住宅における孤立(死)を予防する。
3 ささえあいセンター(1) 設置目的;センターは、相談・生活支援、介護・看護・福祉サービス提供及び被災者並びに仮設住宅入居者の交流の拠点施設として利用する。(2) 拠点施設;各地域における拠点センター本庁地区 蛇田、開成、大橋、万石(以上、全てプレハブ施設)総括センター(社会福祉協議会災害復興支援対策課)総合支所地区 社会福祉協議会各支所、大森(プレハブ施設)(3) ささえあいセンター;仮設住宅団地内にある集会所、談話室(計99施設)
4 関係機関(1) 石巻市;仮設住宅入居者の健康状態等については、保健師(健康推進課及び各保健福祉課)が全戸訪問調査を実施するとともに、拠点施設を中心に被災者の生活支援を実施する。(2) 石巻市社会福祉協議会;拠点施設・ささえあいセンターを拠点として、応急仮設住宅管理運営業務(応急仮設住宅の巡回・見守りや入居者の生活相談、関係機関への連絡調整などの運営・管理業務)を実施する。(3) 石巻市文化スポーツ振興公社;拠点施設のうち、プレハブ施設(蛇田、開成、大橋、万石、大森;5施設)について、毎日9時から17時まで職員が常駐し、施設管理(集会所の鍵の貸出しを含む。)を実施する。
5 見守り業務の概要(社会福祉協議会)(1) 訪問支援員;担当団地における仮設住宅の巡回・見守りを実施するとともに、入居者の生活相談を受け付ける。(2) エリア主任;担当エリアにおける訪問支援員の報告を受け、巡回・見守り状況、相談受付状況等を総括する。(3) 復興支援コーディネーター;エリアマネージャーの報告を受け、関係機関への連絡調整を図る。(4) 社会福祉協議会;拠点施設職員は、復興支援コーディネーター、エリア主任、訪問指導員を指揮、総括するとともに、市との連絡調整を図る。
6 ささえあいセンターの管理(1) 予約;本庁地区は、仮設住宅運営管理室、総合支所地区は、保健福祉課において利用予約(申請)を受け付ける。(2) カギの貸出し;拠点施設において、利用者に対しカギを貸し出すとともに、利用報告を受ける。(3) 地元管理;市は、仮設住宅の入居者のなかから管理人を委嘱し、地元利用の促進を図るためにカギを預ける。(4) 管理経費;センターの管理経費は、市が支出する。なお、管理人に対し、集会所維持管理相当額として活動費を支給する。
7 訪問支援員担当業務(市依頼事項)(1) 仮設住宅の巡回(異常の報告)(2) 市職員(保健師等)及び復興支援コーディネーター等の協議結果に基づき、対象世帯を訪問(声掛け)する。(状況の報告)(3) 市から連絡事項(健康相談会の開催などお知らせ)の周知(チラシ等の掲示及び配布、引きこもりがちな世帯への声掛け)(4) 団地内行事への出席状況(全く行事に参加しない引きこもり者のリストアップ)
8 エリアミーティング(1) 各エリアごとに、仮設団地、入居者等の情報交換を行い、関係機関の効率的な連携を図る。(2) 市職員及び復興支援コーディネーター等の協議結果に基づき、訪問支援員が、対象世帯を訪問(声掛け)する。

2011年12月17日土曜日

茅野市によるもちつき!

はじめまして。
12月から石巻にきているKです。
来てそうそう重いかぜをひきまして、体調が万全でなくブログ更新が滞っています。

本日は茅野市、茅野市社会福祉協議会、赤十字奉仕団の方が石巻市入釜谷地区にもちつき、そばうちに来ていただきました。
住民の方にもきっと喜んでもらえたと思います。

また後日レポートします。

2011年12月11日日曜日

遠い・・門前薬局



<雄勝診療所の薬局>
以前雄勝町内に1件あった薬局は津波で被災しており、現在は最寄の院外薬局が車で30-40分の飯野川橋の近くにあるという状況。



そのため、院内薬局を開設し院内での処方を可能としている。



院内に薬剤師はおらず、看護師が調合したものを医師が確認し処方している。



12月現在、麻薬のための金庫の設置ができておらず、癌性疼痛などにもちいる医薬用麻薬の院内処方はできない。



(写真は最寄りの薬局、おいで薬局の薬剤師の先生と)

入れ歯が合わない・・

<雄勝の歯科をめぐる状況>
雄心苑の救護所時代は、救護所が閉所する9月末まで東北大学からの歯科の応援があった。救護所が閉所して以降は1度、松本歯科大からの訪問が11/22-23あったが、今後は定期的な歯科医訪問のめどがたっていない。入れ歯を津波で流され、入れ歯が合わない、または入れ歯がないまま生活している老人もいる。松本から1月に歯科医が再びくるという話もあるが、来られたとしても近隣に関連の歯科技工士や技工所が近くにあるわけではないので、入れ歯を作成することはできない。

歯科訪問診療は16km以内の地区とされており、河北地区に歯科診療所があるが、16kmを超えてしまい、訪問事業が難しい。4月から歯科診療所をオープンする予定となっているが、いろいろと課題があり、本当に開設できるかは未定である(2011年12月6日現在)。

2011年12月9日金曜日

おがつと子供


















雄勝地区は震災前からもともと高齢化率38%、過疎化した地区であり、子供は少なかった。
現在、雄勝地区には通える学校は大須小学校の1校であり、就学児童は17名(震災以前は9名)。保育所や幼稚園はない。送迎バスで飯野川に通っている状態。そして、河北地区の仮設住宅に移住した児童も多く、そのまま転校という状態になっている。ちなみに、河北地区内に小児科の医師はいない。
雄勝にいる子供は全部で26人(未就学児童9人含む)いる。震災で片親あるいは両親をなくした児童がおり、それぞれの状況は様々だ。





写真は、雄勝診療所に2週間に1度くる移動図書館です。なかなか珍しい、海がみえる図書館となっています。車の中にはこどもの本もあります。残念ながら、借りに来る人はほとんどいません。

2011年12月6日火曜日

12月6日(火)

12月6日(火)
8:30- 私たちが宿泊地としてお世話になっている涌谷町町民医療福祉センターの青沼先生のカンファに参加しています。 今回、JIM-NET川添さんのお力添えもあり、雄勝診療所看護師さんが涌谷町町民医療福祉センターでの訪問看護研修をすることが実現しそうなので、それについてのお礼と私の今週の活動修了についてのご挨拶を行いました。
 本日から金子先生と2人で、また新しく研修医の受け入れを開始しました。診療所に来られるのは初めてということで、研修医の先生は緊張の面持ちでしたが、午前はキッズ広場に出かけて、午後は往診に出かけてだんだん和んできました。金子先生に、医療費が高くつく患者さんがいることから、「患者さんの背景を考えながら診療をすることが大事だ」ということをきいて感銘をうけたようでした。終了後のふりかえりで「もっと患者さんの背景をみていきたい」「薬剤の調合をしてみたい」「事務の仕事がどうなっているのかみたい」と、いろいろと意欲的になっていました。

診療が終わってから、保健師さんに金子先生を紹介しました。雄勝の子供の話、歯科診療の話をお聞きし、研修医や雄勝診療所にこられる医療スタッフ向けの雄勝案内文に加えようとおもいます。

本日、鎌田先生が毎週出ている日テレのeveryという番組の取材を雄勝診療所はうけました。木曜に放送予定とのことです。また詳細がわかりましたらご案内します。

金子先生 到着



本日、午前中に23人の外来受診者あり。これって開院以来、午前の最多記録1位か1位タイではないかと思います。午前9時から開始して10:38発のバスで帰りたいという人が13人いる状況でした。待合室はいすに座れない人も続出。なんとかいすを医局から提供してすわっていただきました。
 1人の患者さんは、私が今週長野にかえることを知っていて、「会いにきたの」とおっしゃいました。なんども「気をつけてね。ありがとう」と、私がばたばたと前を通る前に話しかけてくださいました。



 金子先生が到着されました。到着後、診療所スタッフの皆さんにすばらしい挨拶をされ、大変感動しました。研修医の同期として、誇りに思います。どうしてこんなに成熟されているんだろう。
 ご挨拶の要旨は以下になります。金子先生、間違っていたらごめんなさい。



「自分はいずれへき地での地域医療をやっていくつもりで、いろいろな地域での研修を続けてきた。ある地域では、こちらと同じように救急車でも三次医療機関までは遠く、心筋梗塞の人でも2時間近くかけて運ぶようなところであった。へき地で地域医療の鍵をにぎっているのは、地域のリソースを熟知している看護師の方々だ。自分も地域で何度も看護師さんに支えられ、多くを教えていただいた。一般に地域医療においては、医者は大して役にたたないことも少なからずある、ぜひ看護師の皆さんに中心となって、地域の医療を支えていただきたい。もちろん、この雄勝には小倉先生というすばらしい先生がこられているので、ぜひ自分も整形外科やその他のスキルを学ばせていただきたいと思っている。1ヶ月しかいない立場で、なんということもできない身分ではあるが、少しでも小倉先生が疲れないよう、休めるように働いていく所存である。」

診療所を脇からそっと見守る立場として、ぜひがんばっていただきたいです。

(写真は10:38のバスにのる患者さんたちです。8時に到着し、2時間半待ちで帰ります。1日にそれぞれの地区で3便程度ずつしか診療所を経由するバスがありません)

2011年12月3日土曜日

研修医お茶っこのみ



















11月に毎週1回研修にきてくれた、N日赤病院研修医のK先生。

研修目標に、「地域医療がどんなものかを、患者さんと関わることで肌で感じること」を掲げてくれました。回を重ねるごとに、「もう少し積極的に患者さんと話をしたい」と意欲的に取り組み、朝の来院後はすぐに待合室で患者さんと共にいらっしゃいました。そして、最終日を迎える前の日には「最終日には患者さんとお茶っこのみをする」という目標を掲げました。研修医旅行で買ってこられたおせんべいなどを「診察後にお召し上がりください、血糖の高い方は控えてください」と書いた紙とともに待合室において、自らお茶を出すというサービスを午前中続けられました。患者さんの「ありがとう」「先生と話せてよかった」「元気がでた」の言葉がやみつきになったようです。最終日の振り返りでは、「目標はおそらく到達できた」 という評価をして、

この研修でとくによく研修できた点「患者さんとのコミュニケーション」「患者さんと接する機会が多く勉強になりました」といって帰っていかれました。

 地域の皆さんの温かい心で、地域が研修医を育てていく・・そんな医療がここでも根付いていくと思います。

2011年11月28日月曜日

石巻から諏訪にやってきてくれました!

11/11-13まで東日本大震災最大の被災地の一つ、宮城県石巻市から住民の方がきてくださいました!

諏訪中央病院はJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の方々の協力の元、
震災後8カ月を迎えた平成23年11月11日現在石巻での活動を継続しています。

この8カ月、被災地の方々には常に激動の時間が流れています。
家族や友人を失い、家を失い、仕事を失い、その中で懸命に生き続けている。
テレビや新聞では扱われる事は少なくなってきていても、今なお復興には程遠い状況です。

そんな状況の中、石巻市の入釜谷地区の住人の方2名をご招待することになりました。
発災からずっと支援を続けるJIM-NETスタッフ2名と合わせて4名が茅野に来てくれました。
毎週末にあるお葬式の合間をぬって遠路遥々電車での来訪です。

入釜谷のえみこさんとかずえさんは本当に心温かい人たちです。
7割の児童が犠牲となった大川小学校のある釜谷地区。
その釜谷地区の津波の端でかろうじて難を逃れた地区が入釜谷集落。たった20軒の集落です。

この集落に発災直後からたくさんの人がやってきました。
壊滅した雄勝の町から山を越えて逃げてきた人々、津波で流されたものの命をとりとめた人々。
雪降る暗闇の被災地で、家の毛布や衣類や食材を全て提供して多くの人を支えました。

それから8カ月の月日が流れました。今も被災者の仲間と皆で瓦礫拾いを続けています。
「こうやって皆で笑いあいながら作業をする事が救いになる人もいる」そんなことを教えてくれました。

この度、そんな入釜谷集落のアイドル、えみこさんとかずえさんが茅野まで来てくださいました。

○原小学校3年2組
まず訪問した原小学校。感動に溢れた会になりました。
これまでも作文や自作のジャガイモや野菜を入釜谷集落に送っていた3年2組の子供達。
2人の登場に大興奮。まるでテレビのアイドルにでも出会ったかのような反応。



石巻から持参された被災地の写真を一緒に眺め、質問タイムで色々と現状を聞きました。
自作のポップコーンの作り方を実演した後、ポップコーンと募金を直接渡しました。
「見上げてごらん夜の星を」の演奏には感動で皆涙が溢れました。

「震災8カ月の11日のこの日にここにこれたのは運命だと思う。」そうかずえさんは話してくれました。



○かんてん蔵 座談会
夕方には宮川地区のかんてん蔵で座談会を行いました。
アナウンサーの小林節子さんを代表に「震災を忘れない」と
毎月11日に集まって会を開いてらっしゃるようです。

地元の方お手製のおやきや豚汁を食べながら被災の体験談に皆一生懸命耳を傾けておられるようでした。
何もかもが無茶苦茶になって何をしていいかわからないとき、
「誰かのためにおにぎりを握らなきゃ」というのが実は支えになっていたという話は印象的でした。

「そんなの話せないっちゃ~」といってたえみこさんとかずえさんは、始まってしまえばマイクにぎりっぱなしでした。



〇その後
二日目は朝から駅前の新そば祭りに参加。
柳平市長と面会をして色々とお話してくださったようです。
ちょうど見ごろだった長円寺に紅葉を見に行き、隣の萬年屋さんで大福を皆で食べたとのこと。
夕方は原村にある小林節子さんの家にお茶しにいったりとなかなかハードスケジュールだったようです。



毎週のように未だにお葬式が続く石巻からこうして長野まで来てくださった事。
原小学校の子供達と本当にすばらしい心の交流ができた事。
長野の人たちにお話を聞かせてくださったこと。
お二人が来て下さりお会いできたことを本当に幸せだと思いました。

またその裏には陰ながらこのお二人や被災地の多くの方々を支え続けているJIM-NETスタッフの姿があります。
彼女たちのような寄り添う支援者がいて初めて色んな事が可能になる。
いつもいつもありがとうございます。

餅つき会

河北新報に記事として載りました!
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111130t13022.htm













































27日診療所前で行われたもちつき会、楽しかったです。 推定300人?大勢の方があつまりました。みなさん、ありがとうございました。




以下雄勝の先生コメント紹介します。雄勝診療所の横には「仮設住宅サポートセンター」が建っています。5人の方が、雄勝にある6箇所の仮設住宅を毎日見守りされています。


ちょうどJA労組さんから「もちつき」をやりませんか、というお話があったので、サポートセンター前=診療所前でやることになりました。先週は復興市がありましたが、雄勝ではあまり住民のイベントというのがありません。町の中心部が壊滅し、人口は1/4に減少し、人が残っている集落は点在しているので、人が集まる場所も機会も、他の地域に比べてほんとに少ないのです。
どうせやるなら大々的にやろうと、共同支援ネットワークに頑張ってもらって、仮設や住民に広く宣伝しました。オーガッツやJIMーNET、支所や多くの人に協力をお願いして、いろんな人を巻き込んだイベントになりました。東京からはコーヒーを用意して喫茶コーナーのために先生のお知り合いの方や、神戸からも6名のお知り合いの方が参加されました。


いやー、餅つきは大変ですね。腰が入っていないとおばあさんに指導をうけました。なかなか力点が難しい。

オーガッツ/ほたての耳つり




































患者さんが、ほたての耳つりをやっているというお話を聞いていましたが、

どんな作業かわからなかったので、復興市のときに見に行きました。


①ほたての貝殻の一箇所にうすい部分があり、そこに穴をあけます。


②プラスチックの専用のものでとめる。

③海へ!


雄勝を語るのに、この組織ははずせない!というものです。

合同会社オーガッツ
http://oh-guts.jp/


 漁業の復興だけではなく、雄勝の海産物を全国的および世界的なブランドに育てていきながら、雄勝という町そのもののファンをふやしていくという合同会社です。
 下記「そだての住人」になると、週末に雄勝などで開かれるイベントに参加できます。11/20のイベントにお邪魔してみると、東京の会社員の女性の方たちなど、とても素敵な方たちと会うことができて、とても刺激をうけました。厚生労働省の職員の方も土日にこられていました。代表の方が今年の4月に省庁の入職式でお話をしたらしく、そこでオーガッツを知ったとのことです。今後も雄勝とずっとかかわりをもってもらいたいというのが、オーガッツ発起人の方の思いとしてあるようですし、集まった方たちも平日の仕事を続けながら、2-3ヶ月に1回は雄勝に来たいという熱い思いをもっていました。
 このような集まりでネットワークが作れて、様々な全国の人と関われることはすてきだなあと思います。気候もよいし、景色もよい、そして何より人がよい雄勝が本当に好きになってきました。私も今後もオーガッツなどの機会を通して個人的にも雄勝に遊びにきたいです。


「そだての住人」とは?
これまでの養殖オーナーのように、ただお金を前払いして商品を買うのではなく、実際に雄勝町に来ていただき、漁師と実際に話をし、牡蠣や銀鮭を育てる作業を見学したり、ご希望の方には実際に作業にも加わっていただくというものです。ここにある想いは、どこで誰が作ったからわからない商品を食べるのではなく、雄勝のオーガッツが作った、安全で美味しいものを食べていただきたいという想いと、「そだての住人」になる皆様ご自身が作り手となって、自分が作ったものを食べるという喜びを、ぜひ感じてほしいからです。そして、大津波により全壊した地域を復興させるまで、一緒に歩んでいただければと思います。
※養殖作業へのご参加はあくまで希望者のみです
※「そだての住人」対象商品は、牡蠣、ホヤ、帆立、銀鮭となります(その他ワカメなども生産しておりますのでお気軽にご相談ください。)
※一口につき1商品となります(一口を2つ以上の商品で分けることはできません。)
※一口1万円になりますが、使用内訳は、大まかに3,000円が送料、7,000円が収穫にかかる経費となります。

2011年11月26日土曜日































「船越レディース」・・・石巻市雄勝町船越地区の女性陣が船越レディースを結成して、被災した旧船越小学校1室で、硯石を使いペンダントやキーホルダーを作って販売しています。前は漁業をしていたお母さんですがワカメ作業や販売が完全に終わってから、船越レディースの作業は、学校の掃除だったり、網作業、海岸掃除などの手伝い程度の仕事しか出来なくて、何か出来ないかなとみんなで考えてる時、ボランティアで来ていた「海外」の人たちに、何か作ってみませんか、販売協力しますよと後押しされ、いくらかでも復興のためになればと、作業を初めました。お母さんたち復興に向けて何かしないと、という気持ちで一生懸命頑張ってます。

今回の復興市でも、売っていました雄勝石。とてもきれいです。
サケ汁・いくら丼もおいしくいただきました。
雄勝の海の幸バンザイ!

4週間が経ちました・・/お茶っこ講演会







私が石巻で活動を開始して、4週間が経ちました。私がこうして活動できるのも、、これまで活動してこられた仲間の皆さんがつみあげてくださった基礎のおかげで、いまも病院で働きながら協力してくださっている先生方のおかげです。ほんとうに4週間はあっというまでした。あと2週間、毎日を噛み締めて進みます。
本日JIM-NETのお茶っこの集まりにいきました。大川小に通っていた小学生がすんでいた地区の人が多く、亡くなっている方の多い地区からこられた方の仮設の集会所です。こられた方でいろいろと解説してくださる方がいて、以前はみんな何にも話さないことが多かったけれど、最近になってようやく活気づいてきたとお話されます。 来てみると、もともと住んでいた地域が近いということもあり、みなさんまとまっているという印象です。こられた方は片っ端からクリスマスリースを作っていくという状況で、かなり自分のやりたいことに向けてアグレッシブ、子供やお母さんも混じっていて、活気あふれる状況でした(笑)。私は果敢にも高血圧の話をしてみました、前列以外は聞いていないかと思いきや、要所要所でリースをつくる手をとめて視線が合うなど、皆さん実はきいておられました。 とくに、塩分クイズをすると盛り上がります。みなさん、漬物に塩分が多いのはわかってはいるので、やっぱりねーそうだよねーという感じです。


JIM-NETの看護師・川添さんたちの活動が本当に地元の方に喜ばれていることを、どの仮設でも体感します。そして、彼女たちは遅くまでミーティングしながら、いつも新しいデイケアの手法を次々と手に入れ、脳トレや体操、住民のよろこぶ手作業のグッズ(クリスマスリーズ作りなど)を入手しては、こられる住民の皆さんをのびのびと楽しませていて、本当にすごいことです。 お茶っこをした日は毎日反省会をしていて、議事録を記録していて、つぶやき集など、その地域での気になる発言を集めておく作業もこなしていて、変化のある人をチェックしており、PDCAサイクル、Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)がうまく回っていて、地域で活動するときの理想的なモデルだと感じています。学ぶことは多い日々です。

(写真はイメージ写真です。本文とは関係ありません)

2011年11月23日水曜日

名振マザーズのマザーミサンガ

































石巻市雄勝町で漁業網でミサンガを現地の女性達が一つずつ手作業で作って販売しています!
切れないミサンガです。復興市で皆さん元気に売っていました。





以下、参考URLです。東京に出張していることもあります。業者も販売しているようですね。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110919-00000303-alterna-bus_all http://tomonote00.blogspot.com/2011/07/blog-post_28.html


「漁業網の補修糸でミサンガを作るということ」


今回の震災で東北沿岸部は壊滅的な被害に見舞われました。家・船・漁業施設(桟橋・作業場など)を失い、海には瓦礫が沈み、漁業は中断を余儀なくされ多くの漁師、そしてその家族たちが不安を抱えることになりました。私たちが活動している石巻市雄勝町・牡鹿町の漁業関係者も例外ではなく、深刻な被害に呆然とされるばかりでした。震災から2ヶ月が過ぎる頃、漁師さんは漁業再開に向け海や浜の瓦礫撤去を始めました。女性たちは、瓦礫撤去に出れないながらも、せめて漁業に関連したツールで生活を再出発させたいと考え、魚網『漁業網の補修糸』でミサンガ作りを始めました。
ミサンガの材料は100%漁業網の補修糸を使用しています。漁業を修復する・あらたな生活を再出発する、そんな願いと想いをこのミサンガに編みこんでいます。本来のミサンガには切れることで願いが叶うと意味付けされていますがこの魚網のミサンガはあえて「切れないこと」に価値を置いています。つまり、マイナスな状況から、生み出した絆や結束力、新たに出会えた支援の輪を大切にしてゆくこと、それは「強い絆」を表現しています。

2011年11月22日火曜日

おがつ復興市 初日





































11月19日20日、雄勝復興市が開かれました。中学生による雄勝太鼓、小学生によるソーラン節のあと、神楽が行われました。狂言のような感じで、コミカルな演技でした。ステージでは歌手やダンサーによる舞台がくりひろげられました。屋台では鮭汁といくら丼、かき汁などがいただけました。 朝からずっとステージをみているおばあさんたちに話しかけてみました。4人姉妹のうち、3人がこられました。姉妹のうちの一人の娘さんの運転でこられたようです。姉妹のうちの1人が雄勝出身で、寒い中雨の中、10時から15時半くらいまでおられました。その姉妹の隣にいた仮設住宅に住むおばあさんは、不眠を訴えていました。本日も友人で4人家族の全員がなくなったお家のお通夜があるといっておられました。毎日、まだまだお葬式が続きます。雄勝までの通勤の間に、これまでもお葬式の看板をみない日はほとんどありません。




そんなおばあさん方の表情が輝いた先にあったものは・・・神輿でした!藤原さんという筑波大の大学院生が神輿をつくっています。(下記参照) 5月より雄勝の神社より南三陸で活動していた藤原さんに依頼があり、横浜市で神輿作りをしていたおじいさんとともに作ってきた神輿を、おじいさんが亡くなったあとも遺志を継いで完成させたというものでした。東京大学、筑波大学などから、たくさんの神輿の担ぎ手がこられました。私も神輿を担がせてもらいました。すごい熱気でした!




以下、開催概要とブログの紹介です。


「おがつ店こ屋街開店記念イベント・おがつ復興市」開催概要について


【背景及び目的】雄勝地区は平成23年2月末で人口4300人でしたが、東日本大震災により7月5日現在、死亡者123名、行方不明者113名という被害がありました。
又、津波により自宅を流出された等の理由により地区外へ転出されている住民が多く、現在雄勝地区で生活する住民は1200名以下という状況にあります。
壊滅的な被害を受けた雄勝地区は、公共施設、学校、病院、商店、地域コミュニティ、家族の団欒・・・日常を形成していた全てと言っても過言ではないものを失いました。
地域経済の再生、地元住民が元の生活に戻り安心して暮らせる街づくりと地域産業の復興を図ることを目的として平成23年5月におがつ復興市実行委員会が地元の商、工、漁業者の有志により組織され、平成23年5月、7月、8月と過去3回「おがつ復興市」を開催致しました。
今回開催予定のイベントは、8月より着工が進められてきた仮設店舗、事務所のオープニングイベントと連動しておがつ復興市を開催し、雄勝にも商店が戻り復興へ確かな歩みを進めている事を雄勝地区住民はもとより、広く全国にPRし、雄勝の復活に繋げるものです。
【開催概要】■催事名称「おがつ店こ屋街オープニングイベント・おがつ復興市」■開催日時平成23年11月19日(土)午前10時~午後4時平成24年11月20日(日)午前10時~午後4時■開催場所旧石巻市役所雄勝総合支所前■主 催おがつ復興市実行委員会、おがつ店こ屋共栄会■出店者数25店舗(予定)
参考第1回、第2回のおがつ復興市の様子がご覧いただけます。http://japan.311tohoku.com/kahoku/home
お神輿が上がります。この神輿は、3月11日の東日本大震災により被災し全壊した雄勝町新山神社の材料を使い地元雄勝震災復興まちづくり協議会から依頼され製作を開始したものです。放っておけばがれきとして処理されてしまう材木(ケヤキ材)を神輿という形で津波の記憶と祭りの復興を目的に作りなおすものです。
製作者 藤原宣也(筑波大学大学院2年 24歳)は神輿製作技術を持つ祖父と協力し7月から神輿の製作を開始しました。しかし10/19、祖父が他界してしまったため祖父の遺志を継ぎ一人神輿製作を続行する決心をしました。
今回の神輿は仮設商店街のオープンイベントで上がるということで万灯神輿の形をとり、商店街の店舗の名前が刻まれたちょうちん、そして協賛していただいた企業の名前が掲げられます。
町は若者も少なく、担ぎ手も少なくなっています。今回は東京からのボランティア、関係者を中心に担ぎ手が構成されています。さらに神輿製作時に出た端材を利用した木札、キーホルダー、ストラップ(一律1000円)を販売しています。売上は神輿製作費、祭り運営費に当てさせて頂きます。
(中略)本文の続きは藤原宣也さんの下記ブログをご覧ください。 http://wearedevelopers2010.blog110.fc2.com/blog-entry-200.html

実現!診療所お茶っこのみ




11月21日ついに、診療所お茶っこ飲みが実現しました!!
バスの時間変更あり、余分に発生したバスの待ち時間にお茶を出してみたところ、みなさん笑顔で話がはずむはずむ。写真とりますーというとみなさんうつむき加減。


「いままで生きでて病院でお茶サもらったことねえだ」と喜んでいただきました。


余裕があるときにしかお茶だせないからとお話したものの、この分だとずっと出したくなります。


お茶のみ研修も研修医の指導に追加しよう・・・!

11/27(日) 11:00-13:30 診療所前で餅つき会です!皆さん、来てけらい!(きてください)

2011年11月20日日曜日

研修医におしえてくれたおばあちゃん



午後は往診に研修医と私でいってきました。
88歳の女性。もったいないからとふろには月に3-4回しか入りません。大勢での生活も気をつかうから、と、避難勧告がでていたときもサポートセンターから自宅に帰って暮らしたというほど、自立心の強い方でした。現在一人暮らし、私たちがいくとお父さんを看病したときのお話など、ずーっととぎれなく話されます。ひとがくることがめずらしいからこそでしょう。研修医は本日の振り返りで、「ひとの話をきくことの大切さを学んだ」「聞き続けるといろんな情報がえられると思った」とのこと。
ぜひその気持ちを一生忘れないで!!(泣)
ちょうど救急部で、問診をもっととっておけばよかったと思う症例に出会ったこともあったようでした。話を聞くポイントとして5快(便通、睡眠、食事、活動性、体重)をおしえておくとメモしてくれました。
週末は雄勝の復興市です。

<画像と本文は関係ありません>

おくすり訪問 その後







以前から問題になっている、服薬のコンプライアンスが悪く高血圧と糖尿病のコントロールの悪い方の続報です。見回りをしてくださっている訪問員の方からの報告では「朝の薬が3日分余っている」「本日の夕の薬がもうない」と報告がきます。前回訪問してから1週間。薬がなくなる前にと来院されました。

息子さんは、病院までは送ってくれるのですが、呼び入れなければ診療所内には入ってきません。
20年来の男所帯とのことで、複雑な家族関係があるのでしょう。
私は家族カンファレンスの難しいバージョンであることを意識し、カウンセリングの領域になってくると思い外来ではなるべく息子さんの日々の生活の労をねぎらうことに専念しました。薬を飲めなくなっていることを周りが心配してくれているとお話し、薬が飲めないでいるとお父さんには悪い状態がおこりうることを説明しました。息子さんも少しずつこちらの言葉に反応するようになっています。きっと今度こそ薬をのませてくれるはず・・・!

幸いに高血圧はほどほどにおちついてきて、少し改善してきているようです。薬を朝1回にまとめてみました。
となりの仮設サポートセンターの方におつたえし、今後の見守りをお願いしました。ゴミ箱の薬の袋の空を確認しておきますといってくださいました。なんと手厚い。

2011年11月19日土曜日

ある日の診療







DMで粉瘤あり、前日切開排膿した方が今日も処置と点滴にきました。
本人にお話したのですが、あまりDMが感染を引き起こすとは受け入れられていなかったようで、スライドをみせながらお話しました。合併症のうち腎臓病について知らなかったので強調しておきました。


目が見えにくくなってくることを心配されていたので眼科を紹介しました。

石巻では眼科医院も被災し、まだ再開できないでいるところもあり、眼科のなかには予約がとれずに3時間まちの状況もあります。


上記の方へのお話をしていた流れで、行動変容の理論のお話を研修医にしました。
自分が禁煙外来をしているときの実体験を話すと、興味をもってくれていました。

研修医に何でも気になったことを聞いてとつたえたところ、救急で入院させた患者さんが低K血症でそのマネジメントがわからないようで、その勉強をしました。Mgの補充が必要となることを共有し、低Kの鑑別を勉強しました。

午後の往診は96歳女性!元気でした。インフルエンザ注と膝の関節注射も往診で行いました。
ついでにとその息子、お嫁さんも診察をしました。

往診後は頚動脈エコーのDVDを先生と研修医と一緒にみました。


研修医の先生にとって、前回課題であった、患者さんたちとうまく話したいという課題については、今回はだんだん自信がついてきたようで、うまくできるようになってきたという評価をつけていました。なによりです。