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2011年8月28日日曜日
PIPC
緑膿菌に効くあれ。
…ではなくPsychiatry In Primary Careだそうな。
プライマリーケア医がいかにしてうつ病や不安障害を診るか、てなセミナーに参加してまいりました。
とめどなくしゃべるファシリテーターの先生(三遊亭小遊三を面長にした感じ)のもと、みっちり7時間。
背景問診、MAPSO問診など具体的なツールから、患者さんへの接し方まで。
女性にはLove、男性にはRispect。
復習して少しでも還元できればと思います。
終了後は遠藤先生を仙台に迎えに。
わたくしの石巻生活もついに最終週へ。
ラストスパート頑張ります。
2011年8月27日土曜日
支援とエゴと青春と。

全部で救急車9台。
脳梗塞、交通外傷×3、胆管炎、指切断、緑内障発作、てんかん疑い、騎馬戦から落ちた子供。
そうか、今日は運動会か。
我らが拠点・涌谷の高校でも文化祭をやっている。
それどころじゃない現実がつい5か月前にあったけど、今は精一杯運動会や文化祭をやっている。
青春っていいなぁ。。。などと高校卒業して10年経って思ってみたり。
10年後の8月、まさか石巻にいるとは思ってもいなかったあの頃の僕でした。
…話がよくわからん方向に行きそうでした。すいません。
日赤の救急は震災前に比べればまだまだ患者数は多い状態。
でもお盆が過ぎてちょっと落ち着いてきたとのこと。
確かに今週の木曜準夜のWalk inも今日の救急車も先週までと比べて少ない印象です。
雄勝の支援は9月まで。日赤の救急も落ち着いてきている。
このままわれわれの仕事も減っていくことが予想されます。
それが自然な形だし、早くわれわれがいらない日常になる方がいい。
でも訪問すれば医療が必要な人はまだまだいます。
それは震災のせいだけでなく、元からの医療過疎地域だからかもしれない。
そこに部外者のわれわれが乗り込んでいろいろやっちゃうのは問題があるようです。
しかし医療過疎の現実も今回の震災で浮き彫りになった事実。
この震災をきっかけに、この地域の医療が新たな方向へ進めばいいなと思う。
そんな思いも部外者のエゴかもしれないけれど。
2011年8月26日金曜日
ひよこ
入釜谷健康相談。
前日に石巻入りしていただいた原村診療所 安藤先生にもご同行いただいた。
入釜谷地区は約20世帯の小さな集落。
震災後からJIM-NET医療班が深く関わってきた地域。
私が石巻入りした8月上旬にはそれぞれかかりつけも決まり、月1回の健康相談のみとなっていた。
でもそれも今回で終了。

JIM-NETが医療として入釜谷に入ることはもうない。
でもこのつながりは今後もきっと続いていく。
同じ集落で亡くなった方もいる。
畑や鶏舎も失った。
でも笑顔で日々生きている。
ひよこ。
入釜谷復興の象徴。
2011年8月24日水曜日
アクセス

2011年8月23日火曜日
臨時往診
…と思いきや本日は東京に出張でお休み。
早く言ってよ。
午前中は特に予定なし。
尾崎(おのさき)地区で瓦礫撤去ボランティアのリーダーから「足が両方象みたいに腫れてる人がいるから見てほしい」との依頼が。
浮腫?
象皮症??
…フィラリア???
などとありえない想像をしながら現場へ。
見てみると両側足関節水腫はあるものの浮腫や感染徴候はなし。
自覚痛もないし他動時痛もなし。
OA?
痛みもないし心配ないかな?
とりあえず経過観察でよさそう。
それまずいやろ!?てなご意見があれば竹内までお願いします。
夜はわれらが奥先生をお迎えに。
あれ?こないだまで石巻にいなかったけ?
行政から依頼を受けて明日保健指導員向け講演をされるため再来。
頑張ってください。
諏訪教育会会報
その内容を下記に書いておきます。
1500文字っていう分量は難しいですね。
~~~~~~~~~~~~~~~
「・・・・。」その気持ちを表現する言葉が見つからない。
平成23年7月13日から一ヶ月間、宮城県石巻市に医療支援活動に行ってきた。当初から毎日が驚きの連続だった。釜谷、尾崎、北上、門脇、雄勝地区、女川町。場所により異なる風景だが、いずれもおびただしい数の犠牲者や被災家屋があった。視野に広がる廃墟の光景、風の匂い、虫や鳥の鳴き声、そこに漂う形容し難い雰囲気は、テレビや写真、ボランティア体験者の報告会では決して理解できなかった。
そこには色んな生と死のドラマがあった。
7割の児童が犠牲になった大川小学校に急いで迎えに行き、間一髪孫を救い出した祖母。保育園にいた園児は助かったが、迎えに行った母は途中で流された。自分の体に命綱をくくりつけ、津波に流されてきた人たちを必死で拾いあげた。「助けて!」と言いながら波間の瓦礫に消えた人の声が忘れられない。
巡回診療で毎週訪れていた入釜谷地区の住民の方々は、診療終了後にいつも手料理と共に震災当時の話をしてくれた。その時の生々しい話や温かい心遣いに自然と涙が溢れた。

「子供が亡くなった家と生き残った家、狭い集落の中で会話ができなくなっている。その事に触れることも、”タブー扱い”されることも両方とっても辛い事。私のようなちょっと外の人間が行って『お線香1本上げさせてくださいね』と声をかける事でその思いを聞いてあげられる事がある。」役所の保健師さんが別の集落に同行した時に話をしてくれた。
「医師」という看板のない訪問。二人の孫を失った初老の男性。元気そうに話をされているが昼間から酒を飲み、気を紛らわせているように見えた。近づきすぎれば「無神経」、遠すぎれば「冷やかし」になる。コミュニケーションを取るのが怖いと初めて思った。
「決して対岸の火事にしない」そう思って活動してきた。石巻では当院名誉院長の鎌田實医師が代表を務める「日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)」が活動を続けていた。6月から同僚や病院幹部の先生と共に「JIM-NET/諏訪中央病院 石巻医療復興支援プロジェクト」を立ち上げ、若手医師達が4~6週単位で継続的に石巻入りすることになった。
実際の活動としては、避難所のダニ退治や瓦礫撤去作業、無医村地区の仮設診療、訪問診療、石巻赤十字病院の救急当番、地元クリニックでの診療、住民への講演など。「あらゆる場面で期待された仕事を全うする」という諏訪中央病院で教えられた力を発揮する場となっている。
本当に多くの方々に支えられての支援活動だ。病院幹部の先生や診療所の先生が応援に駆けつけてくれた。同僚が活動資金を募金してくれた。原小学校3年2組の生徒さんたちが書いてくれた手紙に被災地住民の方は泣いて喜んでくれた。茅野のあるクリニックではスタッフが往診に自家用車を使い、代わりに往診用の車を寄付してくださった。

普段の診療の中で医師にとって一番の先生は「生老病死」の悩みを持った患者さんだ。被災地では気が遠くなるほど沢山の悩みが、現在進行形で続いている。
「この大災害から学ばなければならない」よく耳にする言葉だ。しかしそれは「次の災害に備えるため」だけでなく「人間としてどうやって生きていくか」を学ぶことが重要だと思う。
被災地の復興はまだ本当に始まったばかりだ。傷付いてまだ立ち上がれない人も沢山いる。しかしこの街は必ず甦る。その日に向けて私たちの活動がほんの少しでも役に立てば、こんな幸せな事はない。
【詳しくはコチラ】
医師の石巻活動ブログ → http://suwaishi.blogspot.com/
JIM-NETブログ → http://blog.livedoor.jp/jim_net/lite/
2011年8月22日月曜日
外来

午前中は外来患者さんの予診、というか血圧測定。
2011年8月18日木曜日
黄ゾーン

2011年8月17日水曜日
石巻医療支援活動概要
JIM-NETの支援活動具体的内容
地理の説明
◎ 石巻市…旧石巻市と周辺の町(河北、河南、桃生(ものう)、雄勝、北上、牡鹿)が合併した広大な地域。地震津波で甚大な被害。全国瓦礫の1/4。宮城第2の都市で人口16万人。
◎ 河北地区…JIM-NETの活動拠点(入釜谷を含む)。北上川と旧北上川の接する地域。人口1万5千人。河北町は合併し、石巻市となったが旧行政単位の動きも多い。
◎ 桃生郡…河北、河南、桃生、雄勝、北上、矢本、鳴瀬が存在した。2005年に前5町は牡鹿郡牡鹿町(牡鹿郡女川町は原発があるため合併せず)とともに石巻市と合併。矢本、鳴瀬は2町合併で東松島市となった(矢本に航空自衛隊石巻基地があるため)。
※ 桃生郡医師会と石巻市医師会…医師会は旧行政区単位で組織されている。
JIM-NET (日本イラク医療支援ネットワーク)
◎JIM-NETとは
イラクで白血病などの病気に苦しむ子供たちに対して医療支援を行っている団体。
代表は諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師。
今回の大震災を受けて、宮城県石巻及び福島での支援活動を継続している。
◎石巻におけるメンバー構成
⇒ 長期現地スタッフ+諏訪中央病院スタッフ(医師・リハビリ)+現地雇用者で構成。
これに不定期支援者が加わる。
・長期現地スタッフ:熊谷 宏さん、川添 圭子さん(看護師)、重岡 美智子さん(看護師)
・諏訪中央病院スタッフ:医師(“Suwa家”チーム 約1カ月)、リハビリ (PT/OT 約1週)
(※諏訪中央病院医師 及び リハビリスタッフはJIM-NETの一員として活動)
支援業務内容 (※平成23年8月11日時点)
◎JIM-NETの支援業務内容 : 大きく「生活支援部門」と「メディカル部門」に分かれる。
1)生活支援部門 (責任者 熊谷さん):風呂(希望の湯、不動の湯)
2)メディカル部門 (責任者 川添Ns):
・河北地区の在宅支援(訪問診療、訪問看護、移送、受診介助、介護相談など)
・河北地区訪問・調査活動 (介護度別ローラー活動、緊急通報システム確認など)
・河北地区入釜谷の健康相談会 (月1回)
・雄勝地区診療(避難所巡回診療、訪問診療、仮設診療所診療)
・石巻赤十字病院救急外来診療支援
・東松島市石垣クリニック内科循環器科診療支援
・各種講演活動
・(社)石巻復興支援協議会メディカル部門(責任者:川添Ns)
・石巻市3歳児健診介助(川添Ns)
◎実際の仕事の進め方 : 現地組織と密に連絡をとりながら進める事が重要である。
○行政:
・河北総合支所保健師の千葉さんと平日ほぼ毎日のミーティング(16時から河北総合支所)
→ この場で活動報告、情報共有、新規業務依頼受託を行う。
・石巻市役所の理学療法士の武田さんから住宅改修等についての依頼を受け実行、報告を行う。
・三歳児検診:川添Nsが平成24年2月まで支援の予定
○復興支援協議会(団体ボランティアの統括団体):
・石巻専修大学において平日毎日19時からミーティング。
→ 復興支援協議会メディカル部門を他団体と共に担っている。川添Nsが責任者。
→ 祭の救護所運営、メディカルアドバイザーとして各種相談・ミニレクチャーなど行う。
→ メディカル以外のダニバスターズ、マッドバスターズ(がれき撤去)などにも時間があれば参加。
全国から集まったボランティア達の活動を通して、石巻の状態が少しわかる
○石巻赤十字病院(宮城県災害コーディネーターの石井 正先生を中心として石巻圏合同救護班を運営)
・毎週火曜日18時から石巻赤十字病院新設プレハブで石巻圏合同救護班のミーティング
→ 雄勝診療 (毎週水曜 アセスメントシート提出)に関して報告:
・石巻赤十字病院救急(木曜準夜、日曜日勤帯):救急科部長の石橋 悟先生と直接相談
○桃生郡医師会
・毎週月曜 東松島市の石垣クリニックで診療 (石垣先生が桃生医師会理事)
2011年8月15日月曜日
訪問も
しかし本日はお盆休みでした。
ということで前日に合流したPT藤森さんと被災地の視察へ。
津波で流されてしまった石巻市街地。がれきの山。
テレビだとわからないけど歩いてみるとわかること。
「がれき」って近くで見ると洋服だったり家電製品だったり飲食品だったり。。。
生活そのものなんですね。
(いろいろ書こうと試みましたが自分の考えがうまく表現できません。。。すいません。)
16時に河北支所で保健師の千葉さんとミーティング後、1件訪問。
関節可動域、筋力増強リハビリおよび便処置。
普段病棟ではPTさん、看護師さんにお任せの部分も多いですが、こうして現場に同行すると医師だけでは医療はなりたたないことを改めて痛感します。
逆にこちらからも気づいてお願いできることも。
訪問もチーム医療です。

帰り際に和渕地区で夏祭りをやっていたので覗いてきました。
旧北上川沿いに無数の灯籠が整然と。
2011年8月14日日曜日
夏祭り
ちなみに先週までは土曜日の深夜帯でしたが人数の関係で今週から日曜日の日勤になりました。
昼からは遅出の先生2人(5~6年目くらい?)も参戦したため割とマンパワーには余裕あり。
地域のみなさんの笑顔と涙、立ち上がっていく力強さ。
2011年8月13日土曜日
雄勝復興市
7時9分の新幹線に乗る奥先生、川添さん(お盆休みで帰省)、8時台の新幹線の清水さんを古川駅(涌谷から下道で30分くらい)送る予定でしたが奥先生の荷物が全然片付いてない…
なんとか6時半過ぎに出発できましたとさ。
2011年8月12日金曜日
にがおえ師活躍!!
全国各地からいろんな特殊技術をもった人が応援に来てくれます。
この写真は福岡県から来たという「似顔絵師」の方。

完全に陸の孤島になってしまった当初は周辺地域から逃げ込んできた住人とともに電気もガスも水道もない中お互いの家の食料や毛布やスペースなどを全て提供して多くの人の命を救いました。
そんな入釜谷のみなさんの苦境を少しでも和らげようと、長野県神宮寺の高橋住職の協力で道の駅「上品の郷」にある「ふたごの湯」までバスで風呂ツアーが行われていました。
そんなところで登場したのがこの似顔絵師のしのさん!福岡の駅前ビルで似顔絵を描くことを職業としていらっしゃるとのこと。
「その時、その場所で、その人の体調や気持や服装がどんなものなのかによっても違ってくるんです。」「この障子から差し込む光、畳部屋の落ち着き、皆のざわめき、そんな風な事があわさって漂っている雰囲気が大事なんです。」

書きあがってきた似顔絵はどうですか??
「あら~姉妹みたい!」「優しい顔だね~。」
そんな声が聞こえてきました。
ちなみにむかって左がJIM-NET川添。右が入釜谷のえみこさんです。姉妹!?
こんな一つ一つの善意が被災地の人たちを勇気づけていけばいいですね~☆
東松島の I クリニックに行ってきました!
2011年8月8日月曜日
8/7日報です。
〜〜〜〜
日赤夜勤救急明け
入釜谷地区お宅訪問
竹内先生、PT清水さんと合流
〜〜〜〜
いよいよ竹内先生と合流しました!これから一週間かけて引き継ぎしていきたいと思います☆
そしてなんと!!
往診クリニック茅野の林先生から車が一台届きました!!
車椅子のまま載せられるという超スグレモノ!!
ビバ林先生!ありがとうございます。皆に支えられて一ヶ月☆
これからも頑張っていきましょ〜!
2011年8月6日土曜日
廃墟の前で祭をやる強さ
石巻で毎年開催される「川開き祭」。
本来は治水をやった孫兵衛さんの偉業をたたえ、
今年は東日本大震災の慰霊の想いを込めて、
石巻に数多くいる全国からのボランティアが、
1万個の灯篭のうち、
前もって各地から集められ、
(※写真 "110731灯篭流し1")
赤や黄色の灯篭を見ると、
「ごめんね。助けてあげられなくて」
「生まれ変わってもまたパパとママの子供に生まれてきてね」
「大好きだよ」
「本当にありがとう」
「あなたといれた○○年間、本当に幸せでした」
「元気でね。ばあちゃんと仲良くね。」
と、簡単な文章なんですが、
「一つ一つの灯篭が魂を持った犠牲者です。」
大勢のボランティアと地元の方が並んで、
(※写真 "110731灯篭流し2")
中には「この兄弟を一緒に流してやってください」
分を見つけられた方もいらっしゃいました。
仲良く寄り添い、灯りを揺らめかせながら流れて行く二つの灯篭。
この灯篭にどんな想いを馳せたのか。
(※写真 "110731灯篭流し3")
徐々に暗くなっていく旧北上川の空。
その下で1000を越える魂が自分達の手を越えて川に流れ、
(※写真 "110731灯篭流し4")
2日目。
初日の追悼の雰囲気とうって変わって「お祭り」
商店が立ち並び、ステージが設けられ、有名人の登場やミッキー&
「こんなにたくさんの若者がいる!!」
どうしてもご高齢の方と接する機会の多い私たちにとってはそれだ
(※写真 "110801川開きミッキー")
ふと冷静になってみるとすごい光景です。
津波で廃墟となった建物の前に屋台が出ていて、
「人間って強い」そう思わせるひとコマでした。
傾いた建物の周辺で大勢の人が見上げる中、
(※写真 "110801川開き花火")
「
と開催についても賛否両論あったようですが
2日間に及ぶ祭が無事に終わった今、この地元に愛された「
多くの市民の方の大切な節目となり、
最後に、
「震災から5カ月。石巻の人たちの中にはやっと立ち上がり、
でも、
今日は立ちあがって歩いていこうという市民の人たちと一緒にお祭
また明日からは新しい日が始まります。
座り込んでいる人には隣に一緒になって座り、
そんな風にしながらこの街の復興をこれからも皆で協力していきま
きっとこの街は復活します。その日を信じて、
(※写真 "110801川開きステージ")
2011年8月4日木曜日
地元に寄り添う
2011年8月3日水曜日
諏訪中央病院が触れられています
週刊東洋経済 SOS日本の医療 http://www.fujisan.co.jp/product/5828/b/667946/
で諏訪中央病院の医療支援に関しての記事があります。
ごらんください。