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2011年11月26日土曜日

4週間が経ちました・・/お茶っこ講演会







私が石巻で活動を開始して、4週間が経ちました。私がこうして活動できるのも、、これまで活動してこられた仲間の皆さんがつみあげてくださった基礎のおかげで、いまも病院で働きながら協力してくださっている先生方のおかげです。ほんとうに4週間はあっというまでした。あと2週間、毎日を噛み締めて進みます。
本日JIM-NETのお茶っこの集まりにいきました。大川小に通っていた小学生がすんでいた地区の人が多く、亡くなっている方の多い地区からこられた方の仮設の集会所です。こられた方でいろいろと解説してくださる方がいて、以前はみんな何にも話さないことが多かったけれど、最近になってようやく活気づいてきたとお話されます。 来てみると、もともと住んでいた地域が近いということもあり、みなさんまとまっているという印象です。こられた方は片っ端からクリスマスリースを作っていくという状況で、かなり自分のやりたいことに向けてアグレッシブ、子供やお母さんも混じっていて、活気あふれる状況でした(笑)。私は果敢にも高血圧の話をしてみました、前列以外は聞いていないかと思いきや、要所要所でリースをつくる手をとめて視線が合うなど、皆さん実はきいておられました。 とくに、塩分クイズをすると盛り上がります。みなさん、漬物に塩分が多いのはわかってはいるので、やっぱりねーそうだよねーという感じです。


JIM-NETの看護師・川添さんたちの活動が本当に地元の方に喜ばれていることを、どの仮設でも体感します。そして、彼女たちは遅くまでミーティングしながら、いつも新しいデイケアの手法を次々と手に入れ、脳トレや体操、住民のよろこぶ手作業のグッズ(クリスマスリーズ作りなど)を入手しては、こられる住民の皆さんをのびのびと楽しませていて、本当にすごいことです。 お茶っこをした日は毎日反省会をしていて、議事録を記録していて、つぶやき集など、その地域での気になる発言を集めておく作業もこなしていて、変化のある人をチェックしており、PDCAサイクル、Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)がうまく回っていて、地域で活動するときの理想的なモデルだと感じています。学ぶことは多い日々です。

(写真はイメージ写真です。本文とは関係ありません)

2011年11月23日水曜日

名振マザーズのマザーミサンガ

































石巻市雄勝町で漁業網でミサンガを現地の女性達が一つずつ手作業で作って販売しています!
切れないミサンガです。復興市で皆さん元気に売っていました。





以下、参考URLです。東京に出張していることもあります。業者も販売しているようですね。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110919-00000303-alterna-bus_all http://tomonote00.blogspot.com/2011/07/blog-post_28.html


「漁業網の補修糸でミサンガを作るということ」


今回の震災で東北沿岸部は壊滅的な被害に見舞われました。家・船・漁業施設(桟橋・作業場など)を失い、海には瓦礫が沈み、漁業は中断を余儀なくされ多くの漁師、そしてその家族たちが不安を抱えることになりました。私たちが活動している石巻市雄勝町・牡鹿町の漁業関係者も例外ではなく、深刻な被害に呆然とされるばかりでした。震災から2ヶ月が過ぎる頃、漁師さんは漁業再開に向け海や浜の瓦礫撤去を始めました。女性たちは、瓦礫撤去に出れないながらも、せめて漁業に関連したツールで生活を再出発させたいと考え、魚網『漁業網の補修糸』でミサンガ作りを始めました。
ミサンガの材料は100%漁業網の補修糸を使用しています。漁業を修復する・あらたな生活を再出発する、そんな願いと想いをこのミサンガに編みこんでいます。本来のミサンガには切れることで願いが叶うと意味付けされていますがこの魚網のミサンガはあえて「切れないこと」に価値を置いています。つまり、マイナスな状況から、生み出した絆や結束力、新たに出会えた支援の輪を大切にしてゆくこと、それは「強い絆」を表現しています。

2011年11月22日火曜日

おがつ復興市 初日





































11月19日20日、雄勝復興市が開かれました。中学生による雄勝太鼓、小学生によるソーラン節のあと、神楽が行われました。狂言のような感じで、コミカルな演技でした。ステージでは歌手やダンサーによる舞台がくりひろげられました。屋台では鮭汁といくら丼、かき汁などがいただけました。 朝からずっとステージをみているおばあさんたちに話しかけてみました。4人姉妹のうち、3人がこられました。姉妹のうちの一人の娘さんの運転でこられたようです。姉妹のうちの1人が雄勝出身で、寒い中雨の中、10時から15時半くらいまでおられました。その姉妹の隣にいた仮設住宅に住むおばあさんは、不眠を訴えていました。本日も友人で4人家族の全員がなくなったお家のお通夜があるといっておられました。毎日、まだまだお葬式が続きます。雄勝までの通勤の間に、これまでもお葬式の看板をみない日はほとんどありません。




そんなおばあさん方の表情が輝いた先にあったものは・・・神輿でした!藤原さんという筑波大の大学院生が神輿をつくっています。(下記参照) 5月より雄勝の神社より南三陸で活動していた藤原さんに依頼があり、横浜市で神輿作りをしていたおじいさんとともに作ってきた神輿を、おじいさんが亡くなったあとも遺志を継いで完成させたというものでした。東京大学、筑波大学などから、たくさんの神輿の担ぎ手がこられました。私も神輿を担がせてもらいました。すごい熱気でした!




以下、開催概要とブログの紹介です。


「おがつ店こ屋街開店記念イベント・おがつ復興市」開催概要について


【背景及び目的】雄勝地区は平成23年2月末で人口4300人でしたが、東日本大震災により7月5日現在、死亡者123名、行方不明者113名という被害がありました。
又、津波により自宅を流出された等の理由により地区外へ転出されている住民が多く、現在雄勝地区で生活する住民は1200名以下という状況にあります。
壊滅的な被害を受けた雄勝地区は、公共施設、学校、病院、商店、地域コミュニティ、家族の団欒・・・日常を形成していた全てと言っても過言ではないものを失いました。
地域経済の再生、地元住民が元の生活に戻り安心して暮らせる街づくりと地域産業の復興を図ることを目的として平成23年5月におがつ復興市実行委員会が地元の商、工、漁業者の有志により組織され、平成23年5月、7月、8月と過去3回「おがつ復興市」を開催致しました。
今回開催予定のイベントは、8月より着工が進められてきた仮設店舗、事務所のオープニングイベントと連動しておがつ復興市を開催し、雄勝にも商店が戻り復興へ確かな歩みを進めている事を雄勝地区住民はもとより、広く全国にPRし、雄勝の復活に繋げるものです。
【開催概要】■催事名称「おがつ店こ屋街オープニングイベント・おがつ復興市」■開催日時平成23年11月19日(土)午前10時~午後4時平成24年11月20日(日)午前10時~午後4時■開催場所旧石巻市役所雄勝総合支所前■主 催おがつ復興市実行委員会、おがつ店こ屋共栄会■出店者数25店舗(予定)
参考第1回、第2回のおがつ復興市の様子がご覧いただけます。http://japan.311tohoku.com/kahoku/home
お神輿が上がります。この神輿は、3月11日の東日本大震災により被災し全壊した雄勝町新山神社の材料を使い地元雄勝震災復興まちづくり協議会から依頼され製作を開始したものです。放っておけばがれきとして処理されてしまう材木(ケヤキ材)を神輿という形で津波の記憶と祭りの復興を目的に作りなおすものです。
製作者 藤原宣也(筑波大学大学院2年 24歳)は神輿製作技術を持つ祖父と協力し7月から神輿の製作を開始しました。しかし10/19、祖父が他界してしまったため祖父の遺志を継ぎ一人神輿製作を続行する決心をしました。
今回の神輿は仮設商店街のオープンイベントで上がるということで万灯神輿の形をとり、商店街の店舗の名前が刻まれたちょうちん、そして協賛していただいた企業の名前が掲げられます。
町は若者も少なく、担ぎ手も少なくなっています。今回は東京からのボランティア、関係者を中心に担ぎ手が構成されています。さらに神輿製作時に出た端材を利用した木札、キーホルダー、ストラップ(一律1000円)を販売しています。売上は神輿製作費、祭り運営費に当てさせて頂きます。
(中略)本文の続きは藤原宣也さんの下記ブログをご覧ください。 http://wearedevelopers2010.blog110.fc2.com/blog-entry-200.html

実現!診療所お茶っこのみ




11月21日ついに、診療所お茶っこ飲みが実現しました!!
バスの時間変更あり、余分に発生したバスの待ち時間にお茶を出してみたところ、みなさん笑顔で話がはずむはずむ。写真とりますーというとみなさんうつむき加減。


「いままで生きでて病院でお茶サもらったことねえだ」と喜んでいただきました。


余裕があるときにしかお茶だせないからとお話したものの、この分だとずっと出したくなります。


お茶のみ研修も研修医の指導に追加しよう・・・!

11/27(日) 11:00-13:30 診療所前で餅つき会です!皆さん、来てけらい!(きてください)

2011年11月20日日曜日

研修医におしえてくれたおばあちゃん



午後は往診に研修医と私でいってきました。
88歳の女性。もったいないからとふろには月に3-4回しか入りません。大勢での生活も気をつかうから、と、避難勧告がでていたときもサポートセンターから自宅に帰って暮らしたというほど、自立心の強い方でした。現在一人暮らし、私たちがいくとお父さんを看病したときのお話など、ずーっととぎれなく話されます。ひとがくることがめずらしいからこそでしょう。研修医は本日の振り返りで、「ひとの話をきくことの大切さを学んだ」「聞き続けるといろんな情報がえられると思った」とのこと。
ぜひその気持ちを一生忘れないで!!(泣)
ちょうど救急部で、問診をもっととっておけばよかったと思う症例に出会ったこともあったようでした。話を聞くポイントとして5快(便通、睡眠、食事、活動性、体重)をおしえておくとメモしてくれました。
週末は雄勝の復興市です。

<画像と本文は関係ありません>

おくすり訪問 その後







以前から問題になっている、服薬のコンプライアンスが悪く高血圧と糖尿病のコントロールの悪い方の続報です。見回りをしてくださっている訪問員の方からの報告では「朝の薬が3日分余っている」「本日の夕の薬がもうない」と報告がきます。前回訪問してから1週間。薬がなくなる前にと来院されました。

息子さんは、病院までは送ってくれるのですが、呼び入れなければ診療所内には入ってきません。
20年来の男所帯とのことで、複雑な家族関係があるのでしょう。
私は家族カンファレンスの難しいバージョンであることを意識し、カウンセリングの領域になってくると思い外来ではなるべく息子さんの日々の生活の労をねぎらうことに専念しました。薬を飲めなくなっていることを周りが心配してくれているとお話し、薬が飲めないでいるとお父さんには悪い状態がおこりうることを説明しました。息子さんも少しずつこちらの言葉に反応するようになっています。きっと今度こそ薬をのませてくれるはず・・・!

幸いに高血圧はほどほどにおちついてきて、少し改善してきているようです。薬を朝1回にまとめてみました。
となりの仮設サポートセンターの方におつたえし、今後の見守りをお願いしました。ゴミ箱の薬の袋の空を確認しておきますといってくださいました。なんと手厚い。

2011年11月19日土曜日

ある日の診療







DMで粉瘤あり、前日切開排膿した方が今日も処置と点滴にきました。
本人にお話したのですが、あまりDMが感染を引き起こすとは受け入れられていなかったようで、スライドをみせながらお話しました。合併症のうち腎臓病について知らなかったので強調しておきました。


目が見えにくくなってくることを心配されていたので眼科を紹介しました。

石巻では眼科医院も被災し、まだ再開できないでいるところもあり、眼科のなかには予約がとれずに3時間まちの状況もあります。


上記の方へのお話をしていた流れで、行動変容の理論のお話を研修医にしました。
自分が禁煙外来をしているときの実体験を話すと、興味をもってくれていました。

研修医に何でも気になったことを聞いてとつたえたところ、救急で入院させた患者さんが低K血症でそのマネジメントがわからないようで、その勉強をしました。Mgの補充が必要となることを共有し、低Kの鑑別を勉強しました。

午後の往診は96歳女性!元気でした。インフルエンザ注と膝の関節注射も往診で行いました。
ついでにとその息子、お嫁さんも診察をしました。

往診後は頚動脈エコーのDVDを先生と研修医と一緒にみました。


研修医の先生にとって、前回課題であった、患者さんたちとうまく話したいという課題については、今回はだんだん自信がついてきたようで、うまくできるようになってきたという評価をつけていました。なによりです。