「小さな事に感動するということは、とても大切である。」
先日、鎌田先生が仰っていました。
そして、僕が敬愛するアダム徳永先生も仰っていました。
最近、栄養学の勉強をはじめました。
きっかけは仮設の健康相談会。動脈硬化についてお話をしたのですが、
そこで動脈硬化を予防する食事について少し勉強し、食事全体についてもっと知りたいと思いました。
食は言うまでもなく、人間の体の元となるものです。
以前から重要と思いつつ、なかなか勉強する機会がなく過ごしてしまいました。
改めて勉強すると、とても面白くてどんどん読んでいます。
そこで、大豆の解説を読みました。
「畑の肉」
「大地の黄金」
「大いなる豆」
良質なタンパク質、鉄・カルシウムなどミネラルも豊富。
暗所だとモヤシ、ゆでると枝豆、絞ると大豆油、粉にするときな粉、発酵すると醤油、味噌、納豆。
豆乳にはなるわ、おからにはなるわ、豆腐にはなるわ・・・
大豆には何から何までお世話になっているなぁ。こんなにちいちゃいのに・・・
と、いたく感動した井山でした。
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2012年1月28日土曜日
2012年1月24日火曜日
「写真ボードはじめました」
また始めてしまいました。
写真ボード作り。
今はいなくなってしまった金子先生の写真とか、日赤の研修医の写真とか、新年会の写真とか貼って、
診療所の雰囲気が良くなるように、そして診療所の立ち上げの時期に僕らがいましたよとひっそり自己アピールするために、少しずつ増やしています。
診療所の成長と共に、一緒に写真が増えていったら素晴らしいのではないかと思っています。
医局・看護師さんの部屋・待合室に3カ所作りました。
待合室のボードにはまだ貼っていないのですが、地域の人が参加したイベントの写真(餅つきとか)を貼っていこうと思います。
地域活動の写真とか、消毒会の写真とか、自己アピールしたい写真とか、
今までの活動で「これぞ!」という写真があったら、井山まで送ってください。
「まつり」
今日は、名振でおめつき(お祭り)がありました。
晴れていましたが、雪がちらつく寒さ。
普段は人があまりいない仮設ですが、今日ばかりは道路が車でいっぱい、広場にも人が溢れていました。
今年は山車は流されてしまって出ないようですが、来年は山車が出て徐々に活気が戻ってくれば良いですね。
ちなみに、一番最初の写真でチラリしているのは、木製の男根です。
2012年1月16日月曜日
「お孫さんに絵本をあげよう!」
雄勝診療所に大量の絵本が届いていて、患者さんのお孫さんに絵本をあげよう!
という計画が進んでいます。
幼稚園~小学校低学年向けの絵本で、かわいいポストカード付き。
絵本を2冊ほど封筒に入れて、遠方のお孫さんに送ってプレゼントしよう、という企画です。
お孫さんに喜ばれて、関係も深まって、とても良いのではないかと思います。
問題は患者さんの年齢層が高く、お孫さんといえど大人になってしまっている人が多いこと。
小さいお孫さんがいるかどうか聞いて、診察の合間に配っています。
復興というのは、人と人と結びつきの復興だと思うので、
小さいことからコツコツと、確実に続けていくことが大切と思います。
という計画が進んでいます。
幼稚園~小学校低学年向けの絵本で、かわいいポストカード付き。
絵本を2冊ほど封筒に入れて、遠方のお孫さんに送ってプレゼントしよう、という企画です。
お孫さんに喜ばれて、関係も深まって、とても良いのではないかと思います。
問題は患者さんの年齢層が高く、お孫さんといえど大人になってしまっている人が多いこと。
小さいお孫さんがいるかどうか聞いて、診察の合間に配っています。
復興というのは、人と人と結びつきの復興だと思うので、
小さいことからコツコツと、確実に続けていくことが大切と思います。
2012年1月7日土曜日
派遣終了しました
新年あけました。
石巻では被災後ということで「あけましておめでとうございます」の言葉があまり聞かれませんでしたし、われわれも言わないように努めました。
1/7で私の派遣が終了しました。
「外部の人間による復興支援とはなにか」
ということが問われた1カ月でした。これはJIM-NETの先輩から問われたことでもあります。
被災者の方々へささやかながら出来ることは、お話を聞いてあげること。
診療所の待合室でも暇があればお茶を出してお話をきき、患者が少ないため診察室でも積極的にお話を聞きました。また、許された方には訪問をしてお話を聞きました。
みな、涙ながらに辛いお話をしてくださいました。外部の人だから周囲の人にはすでに語ったが語りつくせないことを再び語ることが出来るのではないかと思います。
診療所の支援では、上手に仕事が回るための仕組みづくり、意識作りを行いました。外部の人間だから出来ること、指摘できることを、自立を妨げないよう注意しながら行いました。
たとえば看護カルテの導入、地域のケアに関わる人々との合同会議の開催、これらはみな「やろう」と思っていても日々の業務で後回しになりがちです。外部の人間だからこそ実現への最後のひと押しを行うことが出来ました。
“復興”診療所 では、直接の診療以外にも地域全体を見据えないと“復興”に結びつきません。
積極的に外に出向き、保健師、見守り隊、行政、復興支援に関わる人々とお話をしました。
そのおかげで「立ち位置」が明らかになりましたし、問題点がはっきりしました。このことは関わる人に還元すべきところは還元し、自分の中ではまた今後の活動につなげようと考えました。
医療は人を治すだけでなく、地域を治さないと治療は出来ません。
その意味でとても学ばせていただいたフィールドであったと思います。
下の写真は中学生が作った横断幕です。
変わり果てた故郷に何を想っているのでしょうか。
いったんは石巻を離れますが、今後も彼らの未来のため、遠くから応援と活動をしていきたいと考えています。
石巻では被災後ということで「あけましておめでとうございます」の言葉があまり聞かれませんでしたし、われわれも言わないように努めました。
1/7で私の派遣が終了しました。
「外部の人間による復興支援とはなにか」
ということが問われた1カ月でした。これはJIM-NETの先輩から問われたことでもあります。
被災者の方々へささやかながら出来ることは、お話を聞いてあげること。
診療所の待合室でも暇があればお茶を出してお話をきき、患者が少ないため診察室でも積極的にお話を聞きました。また、許された方には訪問をしてお話を聞きました。
みな、涙ながらに辛いお話をしてくださいました。外部の人だから周囲の人にはすでに語ったが語りつくせないことを再び語ることが出来るのではないかと思います。
診療所の支援では、上手に仕事が回るための仕組みづくり、意識作りを行いました。外部の人間だから出来ること、指摘できることを、自立を妨げないよう注意しながら行いました。
たとえば看護カルテの導入、地域のケアに関わる人々との合同会議の開催、これらはみな「やろう」と思っていても日々の業務で後回しになりがちです。外部の人間だからこそ実現への最後のひと押しを行うことが出来ました。
“復興”診療所 では、直接の診療以外にも地域全体を見据えないと“復興”に結びつきません。
積極的に外に出向き、保健師、見守り隊、行政、復興支援に関わる人々とお話をしました。
そのおかげで「立ち位置」が明らかになりましたし、問題点がはっきりしました。このことは関わる人に還元すべきところは還元し、自分の中ではまた今後の活動につなげようと考えました。
医療は人を治すだけでなく、地域を治さないと治療は出来ません。
その意味でとても学ばせていただいたフィールドであったと思います。
下の写真は中学生が作った横断幕です。
変わり果てた故郷に何を想っているのでしょうか。
いったんは石巻を離れますが、今後も彼らの未来のため、遠くから応援と活動をしていきたいと考えています。
2012年1月4日水曜日
今日も84km以上走っています!
あけましておめでとうございます。
今年は年末もお正月もなく、被災地を走ってまいりました。
その時に活躍したのがこれ。
JIM-NETからおかりしている軽自動車の足元にあるのは今年買ったスタッドレスタイヤ。
諏訪中央病院にいただいた募金からスタッドレスタイヤを買わせていただきました。
これで毎日涌谷のベースキャンプから雄勝診療所までの往復84kmを安心して走ることができます。
毎日、雄勝診療所の患者さんが喜ぶ顔をみるために走っています。
今年は年末もお正月もなく、被災地を走ってまいりました。
その時に活躍したのがこれ。
JIM-NETからおかりしている軽自動車の足元にあるのは今年買ったスタッドレスタイヤ。
諏訪中央病院にいただいた募金からスタッドレスタイヤを買わせていただきました。
これで毎日涌谷のベースキャンプから雄勝診療所までの往復84kmを安心して走ることができます。
毎日、雄勝診療所の患者さんが喜ぶ顔をみるために走っています。
2012年1月1日日曜日
あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
旧年は多くの皆様の支えでsuwa家被災地支援活動を継続してくることができました。
2/4の活動終了まであと少しとなりましたが本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。また被災地の方々の状況が少しづつでも前に進むよう心よりお祈り申し上げます。
我が家からみえる初日の出をのせてみました。
八ヶ岳の裾野からあがってくる日の出は毎日みても感動します。

この写真は12月17.18日と茅野市が中心となって企画してくれた「お茶っこ隊」に同行したときに撮ったもの。
宿泊先が石巻ではなく南三陸町の「ホテル観洋」でした。(http://www.mkanyo.jp/)
窓の向こうに広がる海から登ってくる朝日は言葉を失うほど綺麗で、この穏やかな海に「あの日」があったことをは信じ難いという気持になります。
前夜、自らの体験談を語ってくれたホテルスタッフの方に聞いてみました。
「翌日、余りにもいつもと同じ美しい陽が上がった。この日だけは太陽が憎らしいと思った。」
そう住民の方は話されていたようです。

「オレンジ色の太陽」という題で、地元と所縁ある画家の方の絵が館内に飾ってあります。
近くに行かれる方は是非見に行ってください。
僕が始めて南三陸に行ったとき、まだ避難所として地元の住民の方がいらっしゃいました。
今は南三陸町が立ち直るために「自分達が観光ホテルとして全国からお客を呼ぶんだ」という気概が伝わってきます。

このもう一枚の写真は日の出ちょっと前のもの。
漆黒の世界に見えはじめた光からは希望とか兆しとか期待とかを感じさせられます。
花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の 春をみせばや 藤原 家隆
この人たちの小さな光が、多くの人にひろまっていきますように。
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