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2011年12月6日火曜日

12月6日(火)

12月6日(火)
8:30- 私たちが宿泊地としてお世話になっている涌谷町町民医療福祉センターの青沼先生のカンファに参加しています。 今回、JIM-NET川添さんのお力添えもあり、雄勝診療所看護師さんが涌谷町町民医療福祉センターでの訪問看護研修をすることが実現しそうなので、それについてのお礼と私の今週の活動修了についてのご挨拶を行いました。
 本日から金子先生と2人で、また新しく研修医の受け入れを開始しました。診療所に来られるのは初めてということで、研修医の先生は緊張の面持ちでしたが、午前はキッズ広場に出かけて、午後は往診に出かけてだんだん和んできました。金子先生に、医療費が高くつく患者さんがいることから、「患者さんの背景を考えながら診療をすることが大事だ」ということをきいて感銘をうけたようでした。終了後のふりかえりで「もっと患者さんの背景をみていきたい」「薬剤の調合をしてみたい」「事務の仕事がどうなっているのかみたい」と、いろいろと意欲的になっていました。

診療が終わってから、保健師さんに金子先生を紹介しました。雄勝の子供の話、歯科診療の話をお聞きし、研修医や雄勝診療所にこられる医療スタッフ向けの雄勝案内文に加えようとおもいます。

本日、鎌田先生が毎週出ている日テレのeveryという番組の取材を雄勝診療所はうけました。木曜に放送予定とのことです。また詳細がわかりましたらご案内します。

金子先生 到着



本日、午前中に23人の外来受診者あり。これって開院以来、午前の最多記録1位か1位タイではないかと思います。午前9時から開始して10:38発のバスで帰りたいという人が13人いる状況でした。待合室はいすに座れない人も続出。なんとかいすを医局から提供してすわっていただきました。
 1人の患者さんは、私が今週長野にかえることを知っていて、「会いにきたの」とおっしゃいました。なんども「気をつけてね。ありがとう」と、私がばたばたと前を通る前に話しかけてくださいました。



 金子先生が到着されました。到着後、診療所スタッフの皆さんにすばらしい挨拶をされ、大変感動しました。研修医の同期として、誇りに思います。どうしてこんなに成熟されているんだろう。
 ご挨拶の要旨は以下になります。金子先生、間違っていたらごめんなさい。



「自分はいずれへき地での地域医療をやっていくつもりで、いろいろな地域での研修を続けてきた。ある地域では、こちらと同じように救急車でも三次医療機関までは遠く、心筋梗塞の人でも2時間近くかけて運ぶようなところであった。へき地で地域医療の鍵をにぎっているのは、地域のリソースを熟知している看護師の方々だ。自分も地域で何度も看護師さんに支えられ、多くを教えていただいた。一般に地域医療においては、医者は大して役にたたないことも少なからずある、ぜひ看護師の皆さんに中心となって、地域の医療を支えていただきたい。もちろん、この雄勝には小倉先生というすばらしい先生がこられているので、ぜひ自分も整形外科やその他のスキルを学ばせていただきたいと思っている。1ヶ月しかいない立場で、なんということもできない身分ではあるが、少しでも小倉先生が疲れないよう、休めるように働いていく所存である。」

診療所を脇からそっと見守る立場として、ぜひがんばっていただきたいです。

(写真は10:38のバスにのる患者さんたちです。8時に到着し、2時間半待ちで帰ります。1日にそれぞれの地区で3便程度ずつしか診療所を経由するバスがありません)

2011年12月3日土曜日

研修医お茶っこのみ



















11月に毎週1回研修にきてくれた、N日赤病院研修医のK先生。

研修目標に、「地域医療がどんなものかを、患者さんと関わることで肌で感じること」を掲げてくれました。回を重ねるごとに、「もう少し積極的に患者さんと話をしたい」と意欲的に取り組み、朝の来院後はすぐに待合室で患者さんと共にいらっしゃいました。そして、最終日を迎える前の日には「最終日には患者さんとお茶っこのみをする」という目標を掲げました。研修医旅行で買ってこられたおせんべいなどを「診察後にお召し上がりください、血糖の高い方は控えてください」と書いた紙とともに待合室において、自らお茶を出すというサービスを午前中続けられました。患者さんの「ありがとう」「先生と話せてよかった」「元気がでた」の言葉がやみつきになったようです。最終日の振り返りでは、「目標はおそらく到達できた」 という評価をして、

この研修でとくによく研修できた点「患者さんとのコミュニケーション」「患者さんと接する機会が多く勉強になりました」といって帰っていかれました。

 地域の皆さんの温かい心で、地域が研修医を育てていく・・そんな医療がここでも根付いていくと思います。

2011年11月28日月曜日

石巻から諏訪にやってきてくれました!

11/11-13まで東日本大震災最大の被災地の一つ、宮城県石巻市から住民の方がきてくださいました!

諏訪中央病院はJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の方々の協力の元、
震災後8カ月を迎えた平成23年11月11日現在石巻での活動を継続しています。

この8カ月、被災地の方々には常に激動の時間が流れています。
家族や友人を失い、家を失い、仕事を失い、その中で懸命に生き続けている。
テレビや新聞では扱われる事は少なくなってきていても、今なお復興には程遠い状況です。

そんな状況の中、石巻市の入釜谷地区の住人の方2名をご招待することになりました。
発災からずっと支援を続けるJIM-NETスタッフ2名と合わせて4名が茅野に来てくれました。
毎週末にあるお葬式の合間をぬって遠路遥々電車での来訪です。

入釜谷のえみこさんとかずえさんは本当に心温かい人たちです。
7割の児童が犠牲となった大川小学校のある釜谷地区。
その釜谷地区の津波の端でかろうじて難を逃れた地区が入釜谷集落。たった20軒の集落です。

この集落に発災直後からたくさんの人がやってきました。
壊滅した雄勝の町から山を越えて逃げてきた人々、津波で流されたものの命をとりとめた人々。
雪降る暗闇の被災地で、家の毛布や衣類や食材を全て提供して多くの人を支えました。

それから8カ月の月日が流れました。今も被災者の仲間と皆で瓦礫拾いを続けています。
「こうやって皆で笑いあいながら作業をする事が救いになる人もいる」そんなことを教えてくれました。

この度、そんな入釜谷集落のアイドル、えみこさんとかずえさんが茅野まで来てくださいました。

○原小学校3年2組
まず訪問した原小学校。感動に溢れた会になりました。
これまでも作文や自作のジャガイモや野菜を入釜谷集落に送っていた3年2組の子供達。
2人の登場に大興奮。まるでテレビのアイドルにでも出会ったかのような反応。



石巻から持参された被災地の写真を一緒に眺め、質問タイムで色々と現状を聞きました。
自作のポップコーンの作り方を実演した後、ポップコーンと募金を直接渡しました。
「見上げてごらん夜の星を」の演奏には感動で皆涙が溢れました。

「震災8カ月の11日のこの日にここにこれたのは運命だと思う。」そうかずえさんは話してくれました。



○かんてん蔵 座談会
夕方には宮川地区のかんてん蔵で座談会を行いました。
アナウンサーの小林節子さんを代表に「震災を忘れない」と
毎月11日に集まって会を開いてらっしゃるようです。

地元の方お手製のおやきや豚汁を食べながら被災の体験談に皆一生懸命耳を傾けておられるようでした。
何もかもが無茶苦茶になって何をしていいかわからないとき、
「誰かのためにおにぎりを握らなきゃ」というのが実は支えになっていたという話は印象的でした。

「そんなの話せないっちゃ~」といってたえみこさんとかずえさんは、始まってしまえばマイクにぎりっぱなしでした。



〇その後
二日目は朝から駅前の新そば祭りに参加。
柳平市長と面会をして色々とお話してくださったようです。
ちょうど見ごろだった長円寺に紅葉を見に行き、隣の萬年屋さんで大福を皆で食べたとのこと。
夕方は原村にある小林節子さんの家にお茶しにいったりとなかなかハードスケジュールだったようです。



毎週のように未だにお葬式が続く石巻からこうして長野まで来てくださった事。
原小学校の子供達と本当にすばらしい心の交流ができた事。
長野の人たちにお話を聞かせてくださったこと。
お二人が来て下さりお会いできたことを本当に幸せだと思いました。

またその裏には陰ながらこのお二人や被災地の多くの方々を支え続けているJIM-NETスタッフの姿があります。
彼女たちのような寄り添う支援者がいて初めて色んな事が可能になる。
いつもいつもありがとうございます。

餅つき会

河北新報に記事として載りました!
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111130t13022.htm













































27日診療所前で行われたもちつき会、楽しかったです。 推定300人?大勢の方があつまりました。みなさん、ありがとうございました。




以下雄勝の先生コメント紹介します。雄勝診療所の横には「仮設住宅サポートセンター」が建っています。5人の方が、雄勝にある6箇所の仮設住宅を毎日見守りされています。


ちょうどJA労組さんから「もちつき」をやりませんか、というお話があったので、サポートセンター前=診療所前でやることになりました。先週は復興市がありましたが、雄勝ではあまり住民のイベントというのがありません。町の中心部が壊滅し、人口は1/4に減少し、人が残っている集落は点在しているので、人が集まる場所も機会も、他の地域に比べてほんとに少ないのです。
どうせやるなら大々的にやろうと、共同支援ネットワークに頑張ってもらって、仮設や住民に広く宣伝しました。オーガッツやJIMーNET、支所や多くの人に協力をお願いして、いろんな人を巻き込んだイベントになりました。東京からはコーヒーを用意して喫茶コーナーのために先生のお知り合いの方や、神戸からも6名のお知り合いの方が参加されました。


いやー、餅つきは大変ですね。腰が入っていないとおばあさんに指導をうけました。なかなか力点が難しい。

オーガッツ/ほたての耳つり




































患者さんが、ほたての耳つりをやっているというお話を聞いていましたが、

どんな作業かわからなかったので、復興市のときに見に行きました。


①ほたての貝殻の一箇所にうすい部分があり、そこに穴をあけます。


②プラスチックの専用のものでとめる。

③海へ!


雄勝を語るのに、この組織ははずせない!というものです。

合同会社オーガッツ
http://oh-guts.jp/


 漁業の復興だけではなく、雄勝の海産物を全国的および世界的なブランドに育てていきながら、雄勝という町そのもののファンをふやしていくという合同会社です。
 下記「そだての住人」になると、週末に雄勝などで開かれるイベントに参加できます。11/20のイベントにお邪魔してみると、東京の会社員の女性の方たちなど、とても素敵な方たちと会うことができて、とても刺激をうけました。厚生労働省の職員の方も土日にこられていました。代表の方が今年の4月に省庁の入職式でお話をしたらしく、そこでオーガッツを知ったとのことです。今後も雄勝とずっとかかわりをもってもらいたいというのが、オーガッツ発起人の方の思いとしてあるようですし、集まった方たちも平日の仕事を続けながら、2-3ヶ月に1回は雄勝に来たいという熱い思いをもっていました。
 このような集まりでネットワークが作れて、様々な全国の人と関われることはすてきだなあと思います。気候もよいし、景色もよい、そして何より人がよい雄勝が本当に好きになってきました。私も今後もオーガッツなどの機会を通して個人的にも雄勝に遊びにきたいです。


「そだての住人」とは?
これまでの養殖オーナーのように、ただお金を前払いして商品を買うのではなく、実際に雄勝町に来ていただき、漁師と実際に話をし、牡蠣や銀鮭を育てる作業を見学したり、ご希望の方には実際に作業にも加わっていただくというものです。ここにある想いは、どこで誰が作ったからわからない商品を食べるのではなく、雄勝のオーガッツが作った、安全で美味しいものを食べていただきたいという想いと、「そだての住人」になる皆様ご自身が作り手となって、自分が作ったものを食べるという喜びを、ぜひ感じてほしいからです。そして、大津波により全壊した地域を復興させるまで、一緒に歩んでいただければと思います。
※養殖作業へのご参加はあくまで希望者のみです
※「そだての住人」対象商品は、牡蠣、ホヤ、帆立、銀鮭となります(その他ワカメなども生産しておりますのでお気軽にご相談ください。)
※一口につき1商品となります(一口を2つ以上の商品で分けることはできません。)
※一口1万円になりますが、使用内訳は、大まかに3,000円が送料、7,000円が収穫にかかる経費となります。

2011年11月26日土曜日































「船越レディース」・・・石巻市雄勝町船越地区の女性陣が船越レディースを結成して、被災した旧船越小学校1室で、硯石を使いペンダントやキーホルダーを作って販売しています。前は漁業をしていたお母さんですがワカメ作業や販売が完全に終わってから、船越レディースの作業は、学校の掃除だったり、網作業、海岸掃除などの手伝い程度の仕事しか出来なくて、何か出来ないかなとみんなで考えてる時、ボランティアで来ていた「海外」の人たちに、何か作ってみませんか、販売協力しますよと後押しされ、いくらかでも復興のためになればと、作業を初めました。お母さんたち復興に向けて何かしないと、という気持ちで一生懸命頑張ってます。

今回の復興市でも、売っていました雄勝石。とてもきれいです。
サケ汁・いくら丼もおいしくいただきました。
雄勝の海の幸バンザイ!