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2011年11月28日月曜日

石巻から諏訪にやってきてくれました!

11/11-13まで東日本大震災最大の被災地の一つ、宮城県石巻市から住民の方がきてくださいました!

諏訪中央病院はJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の方々の協力の元、
震災後8カ月を迎えた平成23年11月11日現在石巻での活動を継続しています。

この8カ月、被災地の方々には常に激動の時間が流れています。
家族や友人を失い、家を失い、仕事を失い、その中で懸命に生き続けている。
テレビや新聞では扱われる事は少なくなってきていても、今なお復興には程遠い状況です。

そんな状況の中、石巻市の入釜谷地区の住人の方2名をご招待することになりました。
発災からずっと支援を続けるJIM-NETスタッフ2名と合わせて4名が茅野に来てくれました。
毎週末にあるお葬式の合間をぬって遠路遥々電車での来訪です。

入釜谷のえみこさんとかずえさんは本当に心温かい人たちです。
7割の児童が犠牲となった大川小学校のある釜谷地区。
その釜谷地区の津波の端でかろうじて難を逃れた地区が入釜谷集落。たった20軒の集落です。

この集落に発災直後からたくさんの人がやってきました。
壊滅した雄勝の町から山を越えて逃げてきた人々、津波で流されたものの命をとりとめた人々。
雪降る暗闇の被災地で、家の毛布や衣類や食材を全て提供して多くの人を支えました。

それから8カ月の月日が流れました。今も被災者の仲間と皆で瓦礫拾いを続けています。
「こうやって皆で笑いあいながら作業をする事が救いになる人もいる」そんなことを教えてくれました。

この度、そんな入釜谷集落のアイドル、えみこさんとかずえさんが茅野まで来てくださいました。

○原小学校3年2組
まず訪問した原小学校。感動に溢れた会になりました。
これまでも作文や自作のジャガイモや野菜を入釜谷集落に送っていた3年2組の子供達。
2人の登場に大興奮。まるでテレビのアイドルにでも出会ったかのような反応。



石巻から持参された被災地の写真を一緒に眺め、質問タイムで色々と現状を聞きました。
自作のポップコーンの作り方を実演した後、ポップコーンと募金を直接渡しました。
「見上げてごらん夜の星を」の演奏には感動で皆涙が溢れました。

「震災8カ月の11日のこの日にここにこれたのは運命だと思う。」そうかずえさんは話してくれました。



○かんてん蔵 座談会
夕方には宮川地区のかんてん蔵で座談会を行いました。
アナウンサーの小林節子さんを代表に「震災を忘れない」と
毎月11日に集まって会を開いてらっしゃるようです。

地元の方お手製のおやきや豚汁を食べながら被災の体験談に皆一生懸命耳を傾けておられるようでした。
何もかもが無茶苦茶になって何をしていいかわからないとき、
「誰かのためにおにぎりを握らなきゃ」というのが実は支えになっていたという話は印象的でした。

「そんなの話せないっちゃ~」といってたえみこさんとかずえさんは、始まってしまえばマイクにぎりっぱなしでした。



〇その後
二日目は朝から駅前の新そば祭りに参加。
柳平市長と面会をして色々とお話してくださったようです。
ちょうど見ごろだった長円寺に紅葉を見に行き、隣の萬年屋さんで大福を皆で食べたとのこと。
夕方は原村にある小林節子さんの家にお茶しにいったりとなかなかハードスケジュールだったようです。



毎週のように未だにお葬式が続く石巻からこうして長野まで来てくださった事。
原小学校の子供達と本当にすばらしい心の交流ができた事。
長野の人たちにお話を聞かせてくださったこと。
お二人が来て下さりお会いできたことを本当に幸せだと思いました。

またその裏には陰ながらこのお二人や被災地の多くの方々を支え続けているJIM-NETスタッフの姿があります。
彼女たちのような寄り添う支援者がいて初めて色んな事が可能になる。
いつもいつもありがとうございます。

餅つき会

河北新報に記事として載りました!
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111130t13022.htm













































27日診療所前で行われたもちつき会、楽しかったです。 推定300人?大勢の方があつまりました。みなさん、ありがとうございました。




以下雄勝の先生コメント紹介します。雄勝診療所の横には「仮設住宅サポートセンター」が建っています。5人の方が、雄勝にある6箇所の仮設住宅を毎日見守りされています。


ちょうどJA労組さんから「もちつき」をやりませんか、というお話があったので、サポートセンター前=診療所前でやることになりました。先週は復興市がありましたが、雄勝ではあまり住民のイベントというのがありません。町の中心部が壊滅し、人口は1/4に減少し、人が残っている集落は点在しているので、人が集まる場所も機会も、他の地域に比べてほんとに少ないのです。
どうせやるなら大々的にやろうと、共同支援ネットワークに頑張ってもらって、仮設や住民に広く宣伝しました。オーガッツやJIMーNET、支所や多くの人に協力をお願いして、いろんな人を巻き込んだイベントになりました。東京からはコーヒーを用意して喫茶コーナーのために先生のお知り合いの方や、神戸からも6名のお知り合いの方が参加されました。


いやー、餅つきは大変ですね。腰が入っていないとおばあさんに指導をうけました。なかなか力点が難しい。

オーガッツ/ほたての耳つり




































患者さんが、ほたての耳つりをやっているというお話を聞いていましたが、

どんな作業かわからなかったので、復興市のときに見に行きました。


①ほたての貝殻の一箇所にうすい部分があり、そこに穴をあけます。


②プラスチックの専用のものでとめる。

③海へ!


雄勝を語るのに、この組織ははずせない!というものです。

合同会社オーガッツ
http://oh-guts.jp/


 漁業の復興だけではなく、雄勝の海産物を全国的および世界的なブランドに育てていきながら、雄勝という町そのもののファンをふやしていくという合同会社です。
 下記「そだての住人」になると、週末に雄勝などで開かれるイベントに参加できます。11/20のイベントにお邪魔してみると、東京の会社員の女性の方たちなど、とても素敵な方たちと会うことができて、とても刺激をうけました。厚生労働省の職員の方も土日にこられていました。代表の方が今年の4月に省庁の入職式でお話をしたらしく、そこでオーガッツを知ったとのことです。今後も雄勝とずっとかかわりをもってもらいたいというのが、オーガッツ発起人の方の思いとしてあるようですし、集まった方たちも平日の仕事を続けながら、2-3ヶ月に1回は雄勝に来たいという熱い思いをもっていました。
 このような集まりでネットワークが作れて、様々な全国の人と関われることはすてきだなあと思います。気候もよいし、景色もよい、そして何より人がよい雄勝が本当に好きになってきました。私も今後もオーガッツなどの機会を通して個人的にも雄勝に遊びにきたいです。


「そだての住人」とは?
これまでの養殖オーナーのように、ただお金を前払いして商品を買うのではなく、実際に雄勝町に来ていただき、漁師と実際に話をし、牡蠣や銀鮭を育てる作業を見学したり、ご希望の方には実際に作業にも加わっていただくというものです。ここにある想いは、どこで誰が作ったからわからない商品を食べるのではなく、雄勝のオーガッツが作った、安全で美味しいものを食べていただきたいという想いと、「そだての住人」になる皆様ご自身が作り手となって、自分が作ったものを食べるという喜びを、ぜひ感じてほしいからです。そして、大津波により全壊した地域を復興させるまで、一緒に歩んでいただければと思います。
※養殖作業へのご参加はあくまで希望者のみです
※「そだての住人」対象商品は、牡蠣、ホヤ、帆立、銀鮭となります(その他ワカメなども生産しておりますのでお気軽にご相談ください。)
※一口につき1商品となります(一口を2つ以上の商品で分けることはできません。)
※一口1万円になりますが、使用内訳は、大まかに3,000円が送料、7,000円が収穫にかかる経費となります。

2011年11月26日土曜日































「船越レディース」・・・石巻市雄勝町船越地区の女性陣が船越レディースを結成して、被災した旧船越小学校1室で、硯石を使いペンダントやキーホルダーを作って販売しています。前は漁業をしていたお母さんですがワカメ作業や販売が完全に終わってから、船越レディースの作業は、学校の掃除だったり、網作業、海岸掃除などの手伝い程度の仕事しか出来なくて、何か出来ないかなとみんなで考えてる時、ボランティアで来ていた「海外」の人たちに、何か作ってみませんか、販売協力しますよと後押しされ、いくらかでも復興のためになればと、作業を初めました。お母さんたち復興に向けて何かしないと、という気持ちで一生懸命頑張ってます。

今回の復興市でも、売っていました雄勝石。とてもきれいです。
サケ汁・いくら丼もおいしくいただきました。
雄勝の海の幸バンザイ!

4週間が経ちました・・/お茶っこ講演会







私が石巻で活動を開始して、4週間が経ちました。私がこうして活動できるのも、、これまで活動してこられた仲間の皆さんがつみあげてくださった基礎のおかげで、いまも病院で働きながら協力してくださっている先生方のおかげです。ほんとうに4週間はあっというまでした。あと2週間、毎日を噛み締めて進みます。
本日JIM-NETのお茶っこの集まりにいきました。大川小に通っていた小学生がすんでいた地区の人が多く、亡くなっている方の多い地区からこられた方の仮設の集会所です。こられた方でいろいろと解説してくださる方がいて、以前はみんな何にも話さないことが多かったけれど、最近になってようやく活気づいてきたとお話されます。 来てみると、もともと住んでいた地域が近いということもあり、みなさんまとまっているという印象です。こられた方は片っ端からクリスマスリースを作っていくという状況で、かなり自分のやりたいことに向けてアグレッシブ、子供やお母さんも混じっていて、活気あふれる状況でした(笑)。私は果敢にも高血圧の話をしてみました、前列以外は聞いていないかと思いきや、要所要所でリースをつくる手をとめて視線が合うなど、皆さん実はきいておられました。 とくに、塩分クイズをすると盛り上がります。みなさん、漬物に塩分が多いのはわかってはいるので、やっぱりねーそうだよねーという感じです。


JIM-NETの看護師・川添さんたちの活動が本当に地元の方に喜ばれていることを、どの仮設でも体感します。そして、彼女たちは遅くまでミーティングしながら、いつも新しいデイケアの手法を次々と手に入れ、脳トレや体操、住民のよろこぶ手作業のグッズ(クリスマスリーズ作りなど)を入手しては、こられる住民の皆さんをのびのびと楽しませていて、本当にすごいことです。 お茶っこをした日は毎日反省会をしていて、議事録を記録していて、つぶやき集など、その地域での気になる発言を集めておく作業もこなしていて、変化のある人をチェックしており、PDCAサイクル、Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)がうまく回っていて、地域で活動するときの理想的なモデルだと感じています。学ぶことは多い日々です。

(写真はイメージ写真です。本文とは関係ありません)

2011年11月23日水曜日

名振マザーズのマザーミサンガ

































石巻市雄勝町で漁業網でミサンガを現地の女性達が一つずつ手作業で作って販売しています!
切れないミサンガです。復興市で皆さん元気に売っていました。





以下、参考URLです。東京に出張していることもあります。業者も販売しているようですね。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110919-00000303-alterna-bus_all http://tomonote00.blogspot.com/2011/07/blog-post_28.html


「漁業網の補修糸でミサンガを作るということ」


今回の震災で東北沿岸部は壊滅的な被害に見舞われました。家・船・漁業施設(桟橋・作業場など)を失い、海には瓦礫が沈み、漁業は中断を余儀なくされ多くの漁師、そしてその家族たちが不安を抱えることになりました。私たちが活動している石巻市雄勝町・牡鹿町の漁業関係者も例外ではなく、深刻な被害に呆然とされるばかりでした。震災から2ヶ月が過ぎる頃、漁師さんは漁業再開に向け海や浜の瓦礫撤去を始めました。女性たちは、瓦礫撤去に出れないながらも、せめて漁業に関連したツールで生活を再出発させたいと考え、魚網『漁業網の補修糸』でミサンガ作りを始めました。
ミサンガの材料は100%漁業網の補修糸を使用しています。漁業を修復する・あらたな生活を再出発する、そんな願いと想いをこのミサンガに編みこんでいます。本来のミサンガには切れることで願いが叶うと意味付けされていますがこの魚網のミサンガはあえて「切れないこと」に価値を置いています。つまり、マイナスな状況から、生み出した絆や結束力、新たに出会えた支援の輪を大切にしてゆくこと、それは「強い絆」を表現しています。

2011年11月22日火曜日

おがつ復興市 初日





































11月19日20日、雄勝復興市が開かれました。中学生による雄勝太鼓、小学生によるソーラン節のあと、神楽が行われました。狂言のような感じで、コミカルな演技でした。ステージでは歌手やダンサーによる舞台がくりひろげられました。屋台では鮭汁といくら丼、かき汁などがいただけました。 朝からずっとステージをみているおばあさんたちに話しかけてみました。4人姉妹のうち、3人がこられました。姉妹のうちの一人の娘さんの運転でこられたようです。姉妹のうちの1人が雄勝出身で、寒い中雨の中、10時から15時半くらいまでおられました。その姉妹の隣にいた仮設住宅に住むおばあさんは、不眠を訴えていました。本日も友人で4人家族の全員がなくなったお家のお通夜があるといっておられました。毎日、まだまだお葬式が続きます。雄勝までの通勤の間に、これまでもお葬式の看板をみない日はほとんどありません。




そんなおばあさん方の表情が輝いた先にあったものは・・・神輿でした!藤原さんという筑波大の大学院生が神輿をつくっています。(下記参照) 5月より雄勝の神社より南三陸で活動していた藤原さんに依頼があり、横浜市で神輿作りをしていたおじいさんとともに作ってきた神輿を、おじいさんが亡くなったあとも遺志を継いで完成させたというものでした。東京大学、筑波大学などから、たくさんの神輿の担ぎ手がこられました。私も神輿を担がせてもらいました。すごい熱気でした!




以下、開催概要とブログの紹介です。


「おがつ店こ屋街開店記念イベント・おがつ復興市」開催概要について


【背景及び目的】雄勝地区は平成23年2月末で人口4300人でしたが、東日本大震災により7月5日現在、死亡者123名、行方不明者113名という被害がありました。
又、津波により自宅を流出された等の理由により地区外へ転出されている住民が多く、現在雄勝地区で生活する住民は1200名以下という状況にあります。
壊滅的な被害を受けた雄勝地区は、公共施設、学校、病院、商店、地域コミュニティ、家族の団欒・・・日常を形成していた全てと言っても過言ではないものを失いました。
地域経済の再生、地元住民が元の生活に戻り安心して暮らせる街づくりと地域産業の復興を図ることを目的として平成23年5月におがつ復興市実行委員会が地元の商、工、漁業者の有志により組織され、平成23年5月、7月、8月と過去3回「おがつ復興市」を開催致しました。
今回開催予定のイベントは、8月より着工が進められてきた仮設店舗、事務所のオープニングイベントと連動しておがつ復興市を開催し、雄勝にも商店が戻り復興へ確かな歩みを進めている事を雄勝地区住民はもとより、広く全国にPRし、雄勝の復活に繋げるものです。
【開催概要】■催事名称「おがつ店こ屋街オープニングイベント・おがつ復興市」■開催日時平成23年11月19日(土)午前10時~午後4時平成24年11月20日(日)午前10時~午後4時■開催場所旧石巻市役所雄勝総合支所前■主 催おがつ復興市実行委員会、おがつ店こ屋共栄会■出店者数25店舗(予定)
参考第1回、第2回のおがつ復興市の様子がご覧いただけます。http://japan.311tohoku.com/kahoku/home
お神輿が上がります。この神輿は、3月11日の東日本大震災により被災し全壊した雄勝町新山神社の材料を使い地元雄勝震災復興まちづくり協議会から依頼され製作を開始したものです。放っておけばがれきとして処理されてしまう材木(ケヤキ材)を神輿という形で津波の記憶と祭りの復興を目的に作りなおすものです。
製作者 藤原宣也(筑波大学大学院2年 24歳)は神輿製作技術を持つ祖父と協力し7月から神輿の製作を開始しました。しかし10/19、祖父が他界してしまったため祖父の遺志を継ぎ一人神輿製作を続行する決心をしました。
今回の神輿は仮設商店街のオープンイベントで上がるということで万灯神輿の形をとり、商店街の店舗の名前が刻まれたちょうちん、そして協賛していただいた企業の名前が掲げられます。
町は若者も少なく、担ぎ手も少なくなっています。今回は東京からのボランティア、関係者を中心に担ぎ手が構成されています。さらに神輿製作時に出た端材を利用した木札、キーホルダー、ストラップ(一律1000円)を販売しています。売上は神輿製作費、祭り運営費に当てさせて頂きます。
(中略)本文の続きは藤原宣也さんの下記ブログをご覧ください。 http://wearedevelopers2010.blog110.fc2.com/blog-entry-200.html

実現!診療所お茶っこのみ




11月21日ついに、診療所お茶っこ飲みが実現しました!!
バスの時間変更あり、余分に発生したバスの待ち時間にお茶を出してみたところ、みなさん笑顔で話がはずむはずむ。写真とりますーというとみなさんうつむき加減。


「いままで生きでて病院でお茶サもらったことねえだ」と喜んでいただきました。


余裕があるときにしかお茶だせないからとお話したものの、この分だとずっと出したくなります。


お茶のみ研修も研修医の指導に追加しよう・・・!

11/27(日) 11:00-13:30 診療所前で餅つき会です!皆さん、来てけらい!(きてください)

2011年11月20日日曜日

研修医におしえてくれたおばあちゃん



午後は往診に研修医と私でいってきました。
88歳の女性。もったいないからとふろには月に3-4回しか入りません。大勢での生活も気をつかうから、と、避難勧告がでていたときもサポートセンターから自宅に帰って暮らしたというほど、自立心の強い方でした。現在一人暮らし、私たちがいくとお父さんを看病したときのお話など、ずーっととぎれなく話されます。ひとがくることがめずらしいからこそでしょう。研修医は本日の振り返りで、「ひとの話をきくことの大切さを学んだ」「聞き続けるといろんな情報がえられると思った」とのこと。
ぜひその気持ちを一生忘れないで!!(泣)
ちょうど救急部で、問診をもっととっておけばよかったと思う症例に出会ったこともあったようでした。話を聞くポイントとして5快(便通、睡眠、食事、活動性、体重)をおしえておくとメモしてくれました。
週末は雄勝の復興市です。

<画像と本文は関係ありません>

おくすり訪問 その後







以前から問題になっている、服薬のコンプライアンスが悪く高血圧と糖尿病のコントロールの悪い方の続報です。見回りをしてくださっている訪問員の方からの報告では「朝の薬が3日分余っている」「本日の夕の薬がもうない」と報告がきます。前回訪問してから1週間。薬がなくなる前にと来院されました。

息子さんは、病院までは送ってくれるのですが、呼び入れなければ診療所内には入ってきません。
20年来の男所帯とのことで、複雑な家族関係があるのでしょう。
私は家族カンファレンスの難しいバージョンであることを意識し、カウンセリングの領域になってくると思い外来ではなるべく息子さんの日々の生活の労をねぎらうことに専念しました。薬を飲めなくなっていることを周りが心配してくれているとお話し、薬が飲めないでいるとお父さんには悪い状態がおこりうることを説明しました。息子さんも少しずつこちらの言葉に反応するようになっています。きっと今度こそ薬をのませてくれるはず・・・!

幸いに高血圧はほどほどにおちついてきて、少し改善してきているようです。薬を朝1回にまとめてみました。
となりの仮設サポートセンターの方におつたえし、今後の見守りをお願いしました。ゴミ箱の薬の袋の空を確認しておきますといってくださいました。なんと手厚い。

2011年11月19日土曜日

ある日の診療







DMで粉瘤あり、前日切開排膿した方が今日も処置と点滴にきました。
本人にお話したのですが、あまりDMが感染を引き起こすとは受け入れられていなかったようで、スライドをみせながらお話しました。合併症のうち腎臓病について知らなかったので強調しておきました。


目が見えにくくなってくることを心配されていたので眼科を紹介しました。

石巻では眼科医院も被災し、まだ再開できないでいるところもあり、眼科のなかには予約がとれずに3時間まちの状況もあります。


上記の方へのお話をしていた流れで、行動変容の理論のお話を研修医にしました。
自分が禁煙外来をしているときの実体験を話すと、興味をもってくれていました。

研修医に何でも気になったことを聞いてとつたえたところ、救急で入院させた患者さんが低K血症でそのマネジメントがわからないようで、その勉強をしました。Mgの補充が必要となることを共有し、低Kの鑑別を勉強しました。

午後の往診は96歳女性!元気でした。インフルエンザ注と膝の関節注射も往診で行いました。
ついでにとその息子、お嫁さんも診察をしました。

往診後は頚動脈エコーのDVDを先生と研修医と一緒にみました。


研修医の先生にとって、前回課題であった、患者さんたちとうまく話したいという課題については、今回はだんだん自信がついてきたようで、うまくできるようになってきたという評価をつけていました。なによりです。

2011年11月13日日曜日

雄勝にドクターカー!



雄勝にドクターカーがきました!

軽なのでかわいい感じですが、ちゃんとピーポーと鳴らせるようです。まだだれも鳴らしていませんが。

これから患者さんの往診に活躍します。

ある日のおくすり訪問












先週のある日, 石巻日赤の研修医の方と看護師さんと、ある80代男性の方のお宅にお薬の確認に行きました。高血圧・糖尿病をお持ちのかたで、薬剤コンプライアンスが悪く、血圧・血糖は高く・・・。現在仮設住宅に息子さんと暮らしていますが日中独居であることから、いろんな方からマークされています。たずねてみると、やはり薬がバラバラ・・食前の薬なんて無理のようです。日赤の研修医さんはこれをみて、高齢者には薬が指示通りに飲めない現実があるということが実感できたようです。
 訪問中に息子さんが昼休みに帰ってこられたので、本人に毎食分の薬を1つずつわたすようにとお願いをしました。薬箱を作ってお渡ししたほうがよさそうです。
 おうちにいくと生活の状況はよくわかります。ビールや焼酎は手の届くところにあり、きっとお酒も飲んでいるでしょう。またしばらくみんなで注意してみていかなければ・・・。



訪問の帰りには、湧き水をくんできました。この水が、雄勝の被災者を救っていました。

命を救った訪問入浴





















11/3、芋煮会に参加しました。
ある老人ホームが計画した会で、10月から入ってきた仮設住宅の入居者の交流を主な目的とした行事でした。いろんな団体に協力を依頼しつつ、企画からわずか10日ほどで形になりました。
その施設のあるところは、震災の被害にあまりあわなかった地域といわれているところでしたが、ライフラインはすべて止まっていました。施設には3日間の備蓄しかなく、自力でなんとか7日間までの食料を確保して、その後食料を届けてくれた業者があり、なんとかしのげたとのことでした。地域の福祉の担当の方と話しました、仮設住宅ばかりマスコミで取り上げられていますが、自宅でなんとか暮らしている人には届かない支援や使える制度の差異があるようです。

老人ホームの入居者の方で、雄勝で被災した夫妻のもとへ行かせていただきました。その夫妻は、前回鎌田先生が会っていった方で、毎日新聞に載っている方です。
震災当日、たまたま2日に1回の訪問入浴を受けていて服を着替え終わったそのときに地震がきました。入浴サービスのスタッフが念のためにと車に乗せて高台へ連れて行ってくれたために命が助かったということでした。なんという幸運。そのまま、トンネルで一晩をすごし、移動した避難所では要介護の方のコーナーで看られていました。以前の雄勝のきれいな風景写真も見せていただきました。こんなにきれいな町だったのに。現在は、今年5月からできた老人ホームに2人で入られました。いろいろな歴史のあるお二人とお話して、とてもに心豊かになりました。

2011年11月11日金曜日

大先生、おつかれさま

















DAIこと大先生、お疲れ様でした。


今回は前任者の大先生の功績について書きます。大先生は小倉先生にも石垣先生にも愛されていました。各診療所の看護師さんにも愛され、とても和んでいました。とくに石垣先生に背格好が似ていることから、患者さんにも「息子さんですか」といわれるほど、かわいがられていましたね。


大先生は雄勝診療所の立ち上げの時期に小倉先生とともに過ごされ、看護師さんが外来業務になれない中、院内のシステムづくりをおこなっていかれました。


レントゲンの撮影マニュアルをあっという間につくりあげ、患者さんの個人カルテに以前の健診データをうつすエクセル作業を地道に行っておられました。何もかもが手探りの状態でしたね。


写真のように、診療所での院内処方箋の形式を提案、実現しました。


雄勝診療所のような薬剤師のいない診療所では、医師が薬剤確認をおこなわなければいけません、薬の声だし確認を行っていましたね。


なによりも、小倉先生の何かというときの相談相手として、小倉先生の精神安定剤になっていたと思います。本当におつかれさまでした。 また、大先生のつくった基盤をもとに、所長の先生や看護師さんがはたらきやすいシステム作りを目指していきたいと思います。

濱口院長からのメッセージ

濱口先生からお言葉を頂きました。

院長の話が聞き取りづらいのは有名ですが、
聞き取りさえすればやはりその内容もオーラも偉大でした。

でっかいですね~。一つ一つの言葉から力と深さを感じました。
こんな院長の下で活動が継続できるって幸せな事ですね。





濱口先生のコメント

諏訪中央病院では過去にも災害に対しての支援を行ってきました。国外ではボスニアの戦争後、バングラデッヂュの大洪水、チェルノブイリなど。国内なら阪神大震災や新潟中越大地震などにも行きました。「困った人がいるなら助けに行こう」そんな文化が病院にはあるんです。

地域医療って本当はそういうもんだと思うんですよ。自分達が持っている「地域医療」を住民の方々に当てはめるのではなく、その土地その土地に必要とされる事がある。それに応えていく事が「地域医療」なんです。そういう点では長野県で医療をやるのも被災地で医療をやるのも何も違いはない。同じなんです。

被災地支援に関しては難しい点もあるんです。向こうから依頼を待ってるだけでは物事が動きにくい。こちらから現地のニーズをつかんで自ら動かなければいけない。それに応えようと動いていく。それが地域医療だし、その過程を通じて医師も成長する。

現在の石巻支援活動はいずれも卒後3年~5年の若手医師が各1カ月以上行っています。その若手であるという事が重要。その人たちが帰ってきて長野で活躍し、いずれは各地に散らばってそれぞれの土地で地域医療を行っていくんです。田舎でも、都会でもそこで必要とされる地域医療がある。この経験がそこで必ず生きる。

病院でやっているだけでが医療ではないんですよ。病院を出て町に出る、そこで住民と人たちの声を聞きながら在宅をやったり地域保健をやったり。今の時期の被災地だと急性期医療ではないし、慢性期の病院医療活動が再重要というわけでもない。例えば石巻であれば津波によってコミュニティーが破壊されてしまったでしょう?そのコミュニティーをどう再構築していくか、それが重要なんだと思います。その支援をすること、それもまた地域医療です。

被災して家族を失った人は「今」どうしているのだろうってよく思うんですよ。私は外科医ですが、「余命あと数カ月です」という宣告をした時、患者さんはどうするか。実は目の前の当たり前の生活を一生懸命にやるという事が多い。今被災地で新たに生活を始めていらっしゃる人たちは、訪れてしまった重大な現実に対し、毎日の生活をするということでなんとか自分を支えておられるのかなあ、そんな風にも考えたりします。

こういった災害は世界中で起こっている。この経験は言葉や形にならないような学びになって本人の中に残っていると思う、それを活かして今後また活躍してほしいと思っています。

リハビリの威力



























本日往診にいきました。石巻日赤の研修医さんとも一緒でした。
ばあさんと2人暮らしの86歳の男性で、9月の中旬からの右股関節痛ののち骨折はありませんが、ADLが低下しねたきりとなっている方です。ヘルパーは毎日午前午後入って、訪問看護週1というケアプランです。本日リハビリボランティアのface to faceの方が診療所にボランティアにきてくれました。
そこで、さっそくリハビリをお願いしてみたところ、うまいこと本人をのせてのせて、、

立てました!!!
そして、おばあさんが笑顔になりました。

写真は①端座位でささえがなくても座っていられるところ、②立って足踏みをしているところです。本人のやる気を引き出し、可能性を追求していく・・
やっぱりリハビリは偉大ですね。ぜひ、サービス提供者がリハビリ情報を共有し、少しずつでも本人をみんなで動かしていく体制にしていきたいです。

NHKのEテレ(教育テレビ)にて11月15日(火)再放送 face to faceの活動がNHKの番組「にっぽんリハビリ応援団」で紹介されることになりました!7月から支援を行っている石巻市雄勝町での活動を中心に、被災地でのリハビリ支援について紹介されます。リハビリ専門職が被災地で出来ること、直面している現状、これからの課題等を知っていただけたらと思います。
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放送予定 再放送 11月15日(火)午後0:00~0:29・チャンネル:Eテレ(教育テレビ)
タイトル:「シリーズ 被災地のリハビリ 第二回 在宅での支援の課題
番組ホームページ:http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/rehab/
キャンナス(全国訪問ボランティアナースの会)が同番組で紹介されます。 
石巻で活動している団体です。JIM-NETとも関係があります。
キャンナスの再放送は11月14日(月)午後0:00~0:29です。

2011年11月9日水曜日

石巻支援中間報告

7月~10月アタマの活動内容報告を挙げてみます。
ここに書いてある内容が活動の本質ではないと思うんですけどね。
形にするとこうなります。

もっとほんとは住民の人たちとこんな風に関わってこんなことがあって
こんな風に感じてこんな風に喜んでもらった~みたいなことが大事なんじゃないかと思います。

そんな話題はヒハ先生の記事からどうぞ読み取ってください。

写真は入釜谷地区のおじぞうさん。
ばあちゃん手編みの赤い頭巾がかぶされています。






















<<三か月の活動内容(平成23年7月15日~10月8日)>>
【在宅支援】
地元河北地区総合支所保健師との毎日ミーティングの中で情報交換や新規依頼を受け主に訪問看護を中心に行い、在宅リハビリ、在宅診療を諏訪中央病院スタッフが行った。
◎訪問診察 15件
◎患者移送・受診介助3件

【診療】
石巻圏合同医療救護班からの依頼の元に無医村地区となった雄勝地区、入釜谷地区の診療。また石巻日赤本院の救急医療支援を行った。桃生郡医師会理事の石垣クリニックで診療支援も施行。
◎雄勝診療救護所 (9回 患者数?名)
◎雄勝診療所(1回3名)
◎入釜谷地区診療(2回 患者数約30名)
◎日赤救急当番(準夜9回, 深夜2回, 日直5回)
◎東松島石垣クリニック診療補助7回

【各種ミーティング】
医療「石巻圏合同救護チーム」、行政「石巻市役所・河北総合支所」、ボランティア「石巻復興支援協議会」等それぞれの代表組織とは密に連携をとって支援活動を継続。
◎石巻圏合同救護チームミーティング
◎河北支所 保健師との合同ミーティング
◎涌谷町国民健康福祉センター 青沼先生ミーティング
◎石巻専修大 復興支援協議会ミーティング

【コーディネート】
短期支援に関して現地コーディネーターの負担減を測った。
◎PT濱さん、上條さん、清水さん
◎高木先生、竹内先生、遠藤先生、伊藤先生受け入れ
【その他】
地元行事に参加する事、被災地生活支援を一緒に手伝う中で人間関係の構築、医師としてのニーズの拾い上げなどを行っている。被災地全体のステージとしては平成23年9月からは仮設住宅での生活とその支援が本格化している。
諏訪中央病院医師としては講演会などを主に担当。
◎仮設住宅支援「お茶っこくらぶ」5回
◎「川開き祭」救護所
◎避難所生活支援「ダニバスターズ」3回
◎瓦礫撤去1回
◎写真洗浄1回
◎千人風呂1回

【講演活動等】
・6/28 原小学校 被災地支援講義・ワークショップ(奥・原村保健師)
・7/05 原村柏木地区 いきいきサロン「石巻支援報告」(奥)
・8/24 石巻市河北地区で保健推進委員約50名に「放射線障害」講義(奥)
・9/01 原村生活習慣病予防研修会「生活習慣病・石巻活動報告」講義(奥)
・9/16 原村生活習慣病予防研修会「生活習慣病・石巻活動報告」講義(奥)
・9/20 石巻市多目的運動公園仮設住宅「すまいと健康」講義(遠藤)
・9/26 石巻市三反走仮設住宅「すまいと健康」講義(遠藤)
・10/3 石巻市追波川川前仮設住宅「すまいと健康」講義(遠藤)
・10/7 安国寺公民館「石巻支援報告」講義(奥・竹内)

【報道】
・6/29 長野日報
・7/23号 東洋経済
・8月号 諏訪郡医師会会報
・9/月 信濃毎日新聞
・9月 東日本放送(KHB)
・10月号 諏訪教育会会報

【活動の推移と見通し】
震災3カ月目の7月に本格的に被災地支援開始。被災地の壊滅的な状態は続く。医療に関わる状態としては急性期の「この集団をケアする医師がいない、薬がない」等の当初の問題から、「この人・この集団に関してはこういう問題」等の個別性の高い問題に変化していた。その中で「寄り添う支援医療」ということで一人1カ月単位の長期支援開始。
比較的長期、継続的に現地にいることができるということで仕事を任されるケースが増加し、引き継ぎ期間を平日5日間と十分にとることが現地の信任にもつながっていると考えられる。日本で唯一の単一医療機関からの家庭医療後期研修医長期派遣プロジェクトとして現在活動継続中。
業務内容は主に無医村地区となった雄勝地区・河北入釜谷地区の診療、石巻日赤救急支援、桃生郡医師会石垣クリニック診療補助、河北地区在宅支援等の診療活動に加え、避難所次いで仮設住宅支援として講演会などを行っている。
震災7カ月の10月現在、最も被災地の大きな課題となっているのは雄勝地区の医療体制再構築。9月に壊滅し医師が全員死亡したことで機能停止に陥っている雄勝病院の代わりに仮設診療所が9月にやっと完成。リアス式海岸内部のかなり入り組んだ山の広い地域に対して、新規に域外から常駐する事になった医師は一人のみで立ち上げに難渋している。現在伊藤医師は週4回程度雄勝診療所の診療+立ち上げ補助活動を継続している。見通しはかなり不透明であるが、今後1~3カ月程度安定までにかかる見込み。

【今後その他の活動】
・10/22 諏訪中央病院祭で”災害プロジェクト”運営
「鎌田名誉院長講演」「行政・消防・病院・石巻代表でシンポジウム」「森のナースの一次応急処置ワークショップ」「市役所の水道車出動」「食生活改善推進委員と炊き出し体験(豚汁、災害用炊飯)」
「暗闇で救出体験」「福島っ子の夏休み作品展示」「もし茅野にM8地震が起きたら」
「原小学校・東部中学校被災地へのチャリティーステージ発表」⇒ 石巻橋浦小学校 / 三反走仮設住宅住民との交流
 病院祭での募金、収益金の一部は石巻へ寄付。
・看護部防災委員会を通して「もし茅野にM8地震が起きたら」アンケート結果提出。